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概要編集

ピーター・ケネス・フランプトン(1950年4月22日~)


イングランド出身のミュージシャンシンガーソングライターギタリスト

ザ・ハード」、「ハンブル・パイ」を経てソロに転向。

ライブアルバムフランプトン・カムズ・アライヴ!』はアルバムとして世界初の1000万枚超のセールスを記録した。


来歴編集

1950年4月22日、ケント州ベックナム(現在はロンドンの一部)に誕生。父オーウェンは美術教師だった。

1958年、クラシック音楽を学ぶ。ハンク・マーヴィンバディ・ホリーエディ・コクランが彼のアイドルだった。

1961年、父が勤務するブロムリー技術学校に進学。先輩のデヴィッド・ジョーンズ(デヴィッド・ボウイ)と仲良くなり、昼休みは一緒にバディ・ホリーの曲を演奏していた。


1966年、アイドル・グループの「ザ・ハード」に参加。スコット・ウォーカー似の美少年だったピーターは大人気となるが、アイドル扱いに辟易していた。

1969年、「ザ・ハード」を脱退し、スティーヴ・マリオットらと「ハンブル・パイ」を結成。

1972年、「ハンブル・パイ」を脱退し「フランプトンズ・キャメル」を結成。セッション・ミュージシャンとしてジョージ・ハリスンニルソンのアルバムに参加。アルバム『ウインド・オブ・チェンジ』でソロ・デビューし、その後もコンスタントにアルバムを発表するが売れなかった。


1975年、4枚目のアルバム『フランプトン』がビルボードで32位に達し、64週にわたりトップ200入りするロング・ヒットとなった。

1976年、2枚組のライブ・アルバム『フランプトン・カムズ・アライヴ!』が大ヒット。しかしレコード会社搾取され、手元にはわずかな金しか残らなかった。


1987年、デヴィッド・ボウイの『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』にギタリストとして参加。


2006年、インストゥルメンタル・アルバム『フィンガープリンツ』を発表。

2007年、第49回グラミー賞で『フィンガープリンツ』が最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバムに選出された。

2019年、封入体筋炎に伴う筋力低下と筋萎縮のため、同年夏のツアーが最後となる事を発表。


関連タグ編集

洋楽 ロック 歌手 ギタリスト ハンブル・パイ

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