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概要編集

フサリアとは、ポーランド王国で一世を風靡した重騎兵。

背、ないし鞍に飾られた巨大な羽飾りが特徴的な騎兵である。

東ヨーロッパを起源とする軽騎兵「ユサール」と源流を同じにするが、

ポーランド王国では重騎兵として発展し、16世紀から17世紀にかけて活躍。

精強な騎兵として、その名をヨーロッパ中に知らしめるが、度重なる戦乱と財政問題から、

装備と錬度を維持することができなくなり、軽騎兵に取って代わられた。


フサリアの活躍編集

その破格の強さから「サムライより強い」とまで言われる

現在ポーランドの憲法記念日では、女子がフサリアの格好をしてパレードをするという。

  • 第一次スウェーデン=ポーランド戦争ではフサリア百人の死者に対し、スウェーデン軍は6千〜9千の死者という痛手を負う。
  • ホティンの戦い:5万の内、8千がフサリアのリトアニア=ポーランド軍VS15万のオスマン・トルコ軍。オスマン帝国の大軍がホティン要塞(現ウクライナ)を攻撃。

この戦いでオスマン帝国は4万の死者を出し、和議を結ぶことで手打ちにする。が、オスマン帝国のスルタン・オスマン2世はこの結果に納得がいかず、負けた原因をイェニチェリに押し付けたことで彼らの反発を食らい、暗殺される。


とりあえずこの動画を見ればどれだけすさまじい騎兵だったかお分かり頂けるだろうか。


衰退編集

しかし、その異常な戦果は「当時世界最高峰の飼育技術で生み出された軍用馬」「高品質の武具」「高度な軍事訓練」によって成り立つものだった。


もともとはポーランド王国の貴族階級が担い手となっており、リトアニアと同君連合により生まれたポーランド=リトアニア共和国(正確にはシュラフタと呼ばれる上流階級のみが参政権をもっていたので寡頭制に近い)でも地主や貴族といった富裕層がその軍事力を提供し続けていたが、末期となると国家の衰退と同時に彼らも衰退・廃退し、フサリア騎兵隊の質が低下し始める。


17世紀の銃火器やパイク全盛時代でも猛威を振るっていたが、18世紀以降は使い勝手のよい軽装による偵察や襲撃へと軸足を移していき、最後には戦列歩兵の火力の前に旧来の正面突撃戦術はなくなり、側面や後方襲撃を主任務とするハサーへと変質していった。


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