概要
超電磁ロボコン・バトラーVは、初期企画段階では、ロボイダー6、その後、マグネス5に変更、最終的に超電磁ロボコン・バトラーVとタイトルが変更された。
マグネス5の主人公の名前は中島俊(なかじましゅん)、十三にあたる人物が栗山勇太郎、大作にあたる人物が西川益夫だった。(ちづると小介はこの段階で実際の番組と同じ名称)
放送前の各種児童雑誌における新番組告知でも『マグネス5』名義だった。
マグネスファイブはその後、長谷川裕一のゴッドバードのオリジナルメカの名前として流用された。
企画の変容
最初期企画『ロボイダー6』という6台のメカが合体するロボットもので、原案はなんと手塚治虫(この時描かれたロボデザインも恐らく手塚によるもの)。それが、5台のメカが合体する『マグネス5』へと変更。その頃は、まだ制作会社も未定だった。
企画の中心となったのは、東映動画でプロデューサーを務めていた飯島敬で、当然、東映本社にはアニメーション専門のスタッフがおらず『ミラクル少女リミットちゃん』や『魔女っ子メグちゃん』で付き合いのあったひろみプロに、作品の設定などを依頼。
制作会社として、旧虫プロOBが設立した創映社(現:サンライズ)が選ばれたが、長浜忠夫が、『勇者ライディーン』の続編企画を構想していたこともあり、飯島敬プロデューサーの催促を無視していたそうだ。
結局『ライディ-ン』の続編企画は成立せず、急遽『マグネス5』の企画に乗り出す。このような事情からスケジュールが逼迫し、当初は1976年4月3日からであった放送開始予定を、最終的に2週遅らせる形で同年4月17日からの放送開始となった。
村野守美や成田マキホによるキャラクターデザインは、安彦良和により大幅変更された。更にポピーによるメカニックデザインも、安彦がポピー側に無断でデザインを修正したため、ポピーもかなりスケジュールが逼迫し、次回作の企画時にポピー側でロボットのデザインを早々に決定し、長浜に忠告するまでに至っている。
メカデザイン
当初9機合体が予定されていたが、多すぎるということで6機に減らされ、最終的に5機に落ち着いた。『マグネス5』時に提案されたデザインは口元が露出(放送当時の玩具にその名残がある)しており、目に瞳が描かれているのが特徴。