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名称編集

通称は「大地の力・並ぶ事なき権威」を意味するプーミポン・アドゥンヤデートで、国外メディアでは一般的に「プミポン国王」と呼ばれるが、タイ語の概念では本来区切ることのできない名である。

本稿では国王としての名である「ラーマ9世」で統一する。


概要編集

1927年12月5日にアメリカ合衆国で生まれる。

1946年に兄王のラーマ8世が怪死したことを受け急遽即位、その後勉学を修了するため留学先のスイスに戻り、数年後に帰国する。


70年に及ぶ在位の間、タイ王国では大小さまざまな政変が起きたがラーマ9世は日頃勤勉で真面目な国王として振舞い、政変の際には調停役として国の安定に尽力し続けたことで国民から絶大な支持を得、ラーマ7世以来低下していた王室の威信を取り戻したと見なされている。


老年期に入って以降は健康を害することが多く、晩年は病室で執務をとっていたとされる。


評価編集

実直な王であるラーマ9世の評価は死後もなおタイの幅広い世代で強い敬愛を集めている。特に90年代に起きた大規模な政治的騒乱の際には、首相と民主運動家双方を宮殿に招き、平和的解決に力を尽くすよう強く促した姿が全国で報じられたことでラーマ9世と王室の威信は頂点に達した。


一方で、常に調停役として振舞い続け、軍によるクーデターにも表立った抵抗の意志を見せなかったことがタイの民主主義の成熟を阻害しているという声は外国を中心に生前より根強く存在し、インターネットの普及とラーマ9世が恒例となり公に出る機会が少なくなると若い世代を中心に以前ほどの求心力は失われていった。

特に、王太子時代から1年の殆どをドイツで過ごすラーマ10世の即位と長引く軍政、軍と結びついた富裕層や王室に対する不満が高まると、公然とラーマ9世を含めた王室批判が街頭デモで飛び交うようになっている。


人物編集

ラーマ9世の写真の中で最も国民の中で人気があるものは、鼻先から汗を垂らしながら地方の視察に励む壮年期の写真とされる。


日本製品を愛用していることでも知られ、カメラスニーカーは特に日本製を愛用し、タイ国内ではそれらのブランドが王にあやかろうとしばしば大流行した。


日本の皇室との関係も長く、皇太子時代の明仁(現上皇)にタイの食糧政策解決のためにティラピアを養殖魚として送ってもらい、タイでポピュラーな魚となった話や秋篠宮文仁親王を「息子同然」と可愛がっていたという話が残っている。



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