亀井義行
かめいよしゆき
大阪・上宮太子高校、中央大学を経て2004年オフのドラフト会議にて読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。大学時代は東都のイチローとも呼ばれた。
本職は外野手だが、チーム事情によっては一塁、三塁といった内野も守るユーティリティープレイヤー。原辰徳監督(当時)からは「困った時の亀ちゃん」と呼ばれるほど厚い信頼を得ていた。
2013年シーズンからは登録名を「亀井善行」(読みは同じ)に変更。高橋由伸の監督就任以降は、勝負所の代打や時にはスタメンとして存在感を発揮した。2021年シーズンをもって現役を引退し、一軍外野守備走塁コーチへ就任。
現役時代の2009年にはWBC日本代表に選出。他の選手と比較して実績が明らかに劣っていた彼の選出を疑問視する声もあったが、「混成チームを作る上で、最も重要なのはサブプレーヤーの存在」という前提での選出であった。1打数1安打で打率10割となったり、キャプテンの稲葉篤紀にゲン担ぎをお願いするなどの活躍をした。
原が二期目以降、事あるごとに亀井を重用していたため、「隙あらば亀井」という言葉も生まれた。「隙亀」と略される。
「隙あらば○○」の原型となった。なんJにおいては広島東洋カープ監督時代の緒方孝市が野間峻祥に対して行っていた扱いが最も有名。このほか、2021年終盤には原自身が「隙あらば畠」という言葉も誕生させている。こちらは畠世周が機会を問わず投げさせられることへの同情が強い。
その後は2014年にコーチの後藤孝志から打撃指導を受け、成績が向上。2018年後半には一人完全試合達成をやらかしたりもしたが、むしろ「老益」扱いを受け、このワードは登場することもなくなっていた。
だが2020年9月に本塁クロスプレーで股関節を痛めた亀井は、怪我の影響で成績を大きく下降させる。現役最終年となった2021年に入ると、開幕戦こそ三嶋一輝からサヨナラホームランも放ったものの、7月までの月間打率が全て2割以下という低調な成績を残しながら、右翼スタメンまたは重要な場面での代打として重宝されていた。もちろん結果を出すことはできず、日本ハムから移籍してきて散々な成績を残した中田翔らと共に風当たりが強くなったことで、再びこの言葉がクローズアップされていった。
シーズン終盤は調子を上げたほか、引退の発表もあり、この用語も死語になるかと思われたが、2022年度からの一軍外野守備兼走塁コーチへ亀井が就任したことで、以降も用いられる可能性は生まれている。
なお、原は亀井の引退会見の中で「困った時の亀井頼み。私の中では野球、ジャイアンツの守り神だった」と語っており、最後に隙あらば亀井を公の場で認める形となった。
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- 亀井善行(表記揺れ・現登録名)
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