名古屋市交通局が運用している電車で2020年までにこの形式を名乗った車両は3種類存在する。
ここでは1.と2.について記載する。
1.の3000形
1944年に10編成が製造された路面電車車両。製造は木南車輌製造。
太平洋戦争中の工員輸送を目的として2車体3台車の連接車として製造された。先に製造された2600形の経験から低床型・間接制御で設計されたが、電気部品の納品が間に合わず、モーターや制御装置は旧型車両の部品を転用して取り付けている。
前面形態は1400形の流れを汲む3枚窓で、木南車輛製車両特有の深いカーブのおでこが特徴。
連接台車が低床型となったため車内もフラットになり、2600形よりも軽快な印象になっている。
設計時は間接制御だったが前述のように旧型車両の部品を転用した関係上直接制御で完成しており、モーターも50PS級のものが2個と全長18m級の2車体連接車には非力なもの(1400形用のものだったといわれている)だった。後にモーターは何度か交換され、最終的には50PS級モーターを4個搭載していた。
一方内装は戦時中にもかかわらずモケット張りで、警笛にタイフォンを装備していたが警報のサイレンと紛らわしいという理由で戦時中は音をつぶして使用していたという。
落成後は池下車庫に配置され、栄町線で活躍した。1963年の地下鉄東山線開通で栄町線の利用者が減少すると沢上車庫へと転属し、工業地帯への通勤需要が大きい熱田線・大江線で活躍した。
市電の縮小によって活躍の場が徐々に狭まり、1970年に全廃された。
廃車後は3003号車が名古屋市科学館に保存された。1974年に1400形の1401号車が同館に保存され、1986年に科学館の増築工事に伴い移転するまで縦列で保存されていた。名古屋市電展示場に保存された車両群が10年足らずで解体されたのに対し、4年に1度のペースで再塗装が行われるなど手入れが行き届いていたため展示状態は良好だった。
前述のように科学館の増築工事に伴い1986年に日進工場に移転し、以後は1400形の1421号と共に工場内で保管されていたが、2000年に工場内にオープンしたレトロでんしゃ館に展示され、往年の旺盛な輸送需要を支えた連接車の勇姿を現在に伝えている。
2.の3000形
メインイラストの車両。
地下鉄鶴舞線開通に際して1976年に登場。車体外板をステンレス鋼、骨組と台枠を普通鋼製としたセミステンレス構造で、名鉄豊田新線への直通を前提にパンタグラフ集電・20m4ドア車体としている。
制御装置は自動可変界磁電機子チョッパ制御で、1機の出力が135kWの分割界磁式直流直巻電動機を制御する。全電動車で構成されており、将来的に6M2Tの8両編成への増結も想定していたため出力を大きく取っていた。また、名古屋市営地下鉄では初めての冷房車である(そのため鶴舞線は開業時から冷房化率100%)。
当初は4両編成だったが、鶴舞線の上小田井延伸時に6両編成へと組み替えられた。組み換えは4両編成を2両ずつにばらして15本に組み込んで6両化した。この組み換えで2両が余剰となり、増備が進んでいた3050形3159Hに組み込まれた。
2012年からN3000形の投入が開始され、老朽化の著しい初期車から廃車がスタート。2023年2月に3114Fが引退し、全編成が廃車となっている。