概要
1995年に渋谷の非行グループ(曰く、地元の悪いもの達)から恐喝されパーティー券を売りつけるよう迫られたが、できずに多摩川の河川敷で集団暴行にあった翌日に自ら命を絶った。享年16歳。
唐澤貴洋はこのとき初めて「悪の存在」を認識、「本当の悪い人間と闘うには武器が必要」と法曹の道を志したという。
私の中にはいつも弟がいます。
唐澤貴洋は自身のプロフィールに「弁護士になった切っ掛け」として弟の死について語っており、恒心教徒に貴洋自身が自らの弟を用水路に叩き込んで殺害したといういわゆる「弟殺し」の疑惑を広められた事に憤りを覚えて弟を失った経緯を当時まだ特定されていなかった弟の実名ごと詳細に公表。
その後も様々な媒体で何度も弟の死を雄弁に語っているが
「本当に弟のような犠牲者を出したくないのであれば、弁護士よりも政治家や警察または検察、教師もしくは教育関係者等になった方がよいのではないか」という指摘
「自らの立場の補強のために弟の死を出汁にして被害者アピールする恥知らず」という非難
「聞いてもいない名前も自分から開示して風評被害を助長している無能」という評価
加えて「公認会計士である父親の威光で弁護士になり事務所も間借りしている脛齧り」という評判も相まって、同情の声があまり見られないのが現状である。
元上司である小西一郎曰く「元々検察官志望だったため弟の死で弁護士を目指したというのは真っ赤な嘘」との事。
また、パーティー券を売るという行為は当時社会問題になっていたチーマーの資金稼ぎの常套手段であり、厚史自身も「地元の悪いもの達」の一員だった可能性がある。
東光院の墓誌に名前が刻まれているが、名前の「史」を「志」と彫り間違えた痕跡が残っている。
ダチョウのATSUSHIくん
インターネットペット霊園という誰でも登録できるネット墓というものが存在し、そこに「HIROSHI and ATSUKO 様の親愛なるペットATSUSHI ここに安らかに眠る」という墓が勝手に立てられた。
ペット用の墓であるため動物の種類を登録しなければならないが、なぜか「ダチョウ」という謎のチョイスであったことが大受けし、厚史はダチョウであるという死者に情け容赦なくムチを打つ二次設定が定着した。
カニバリズム路線
上記の「私の中にはいつも弟がいる」というセリフを文字通りの意味として捉え、「彼が自身の弟を殺害した後に捕食した」と言い張られている。
理由は場合によって異なり「無人島に遭難し、生きるため仕方なく弟の肉を食った」「弟を性的に愛していたので食して一つになりたかった」などと話を広げることもある
K.R.A.K(Kill Real Atsushi Killer)
唐澤貴洋と深い関りを持つC.R.A.C.(対レイシスト行動集団)を煽るために作られた偽サイト。
内容は過激な動物愛護団体を模倣したもので、ダチョウ保護を過剰に訴えていた。
自伝本『炎上弁護士』より
2018年12月13日に発売された唐澤貴洋の自伝本『炎上弁護士』によれば、唐澤厚史は地元の不良グループのパシリであったこと、1995年8月25日に自室で首吊り自殺をしていたこと、第一発見者は父親の唐澤洋であること、事件として立件されたかは不明で、集団暴行の当事者がどうなったかも把握していないことなどが明かされた。
また、当時の貴洋は親戚からの評判も悪く「高校も中退したし、フラフラしていて、危ういのは弟ではなく貴洋のほうだった。だから、貴洋のほうが、自殺したのだと思った」と言われたこともあったらしい。
後に「天井ばっか見てた時代」と本人が語る当時の在り方そのものが、厚史を非行に走らせた遠因とも考えられるため、結局は貴洋が厚史を死に追いやった元凶ではないかとも推察されている。