概要
7世紀、淳和天皇の時代、長引く旱魃を終わらせる為、天皇は二人の僧侶に雨ごいの修法を命じた。
まず守敏が七日間修法をしてみたが旱魃は収まらなかった。次に空海が神泉苑にて修法を行うが、これも不発に終わる。
しかしこれは守敏の策であった。彼は空海の名誉に嫉妬し、行を成功させまいと国中の竜を瓶に封じていたのである。
しかし善女龍王のみはそれを逃れていたため、空海は彼女を対象に修法を行い、インド北部の無熱池(むねっち)から呼び寄せた善女龍王の力により、三日間日本中に大雨を降らせた。
以後、善女龍王は神泉苑、金剛峯寺など真言宗系のいくつかの寺院に守り神として祀られている。
真言宗系の宗派の一つ醍醐派の総本山「醍醐寺」の守護神・清瀧権現は善女龍王と同一神ともされる。
姿
『高野大師行状図画』によると、大蛇の頭の上に乗る黄金の小蛇の姿をしていたという。
像や絵では雲に乗り唐服を着た男神や童女神として描かれる。
名前に「女」を含む事、男性的要素を持つ、沙掲羅龍王の娘、という点から『法華経』に登場する龍女菩薩が連想されるが、原典の伝承においては両者の関係は明言されていない。
ただし北海道札幌にある日蓮宗寺院・妙覚寺のサイトでは両者を同一とする記述がある。