概要
外界から隠された『壺村』を故郷とする生きた壺の一族、狭間の地のあらゆる土地に住み着いている。黄金樹の刻印がなされた蓋を嵌めた甕で耳には手が底には足がついており話すこともできる。成長と共に体も大きくなり建造物に匹敵する大きさになる者もいる。
死んだ彼らの破片は禁呪の力を秘めるとされ、中身を狙う『密猟者』と言われる詳細不明の集団と長らく対立しているようである。その他『調香師』との関係も示唆されている。
壺たちは皆基本的に敵意はなく善良であり、戦いになるのはその場所で何かを守っているためである。
儀式壺
投擲壺の製作に必要なアイテム。見た目は壺人の壺と同じ。
壺名 | 効果 |
---|---|
赤獅子の火炎壺 | 筋力補正Bの炎ダメージ |
巨人火の火炎壺 | FP10消費:信仰補正Bの炎ダメージ |
学院の魔力壺 | FP6消費:知力補正Bの魔力ダメージ |
古竜の雷壺 | 技量補正Bの雷ダメージ |
聖律壺 | FP11消費:信仰補正Aの聖ダメージ |
腐敗壺 | 朱い腐敗を蓄積 |
氷結壺 | 冷気を蓄積 |
呪血壺 | 当てた対象に遺灰の攻撃を集中させる |
誘い壺 | FP11消費:着弾場所に非戦闘状態の人型を引き付ける。亜人は問答無用で引き付ける |
獣誘いの壺 | FP9消費:着弾場所に獣の敵を引き付ける |
しろがね壺 | FP8消費:聖杯瓶で回復できなくさせる |
DLCにて大壺系の技が追加される事が判明している。
壺人のNPC
作中には褪せ人と関わりを持ち、個別にイベントを持つ壺人が存在する、
小壺
壺村にいる小さな壺人。主人公に壺師になってほしいと頼む。
戦士の壺、鉄拳アレキサンダー
狭間の地の各地を放浪する壺人。
壺の中身
壺の中には死体の肉片を集めた赤黒い液体が詰められている。壺人の能力は中に詰める死体の元となる人物に依存し元が優れた戦士であればある程に強くなるという性質がある。
人の血肉を生の源としているが、油が詰まった壺人もいるらしい。だが彼らは中身を得る為に人を襲うような真似はしない。語られることによれば壺人達は皆善き人であるらしい。
それはアレキサンダーと関わった褪せ人ならば皆首肯するだろう。二、三回関わっただけの褪せ人に手作りの親愛の証をわざわざを手渡して来るのは彼らぐらいだけである。
ちなみに彼らの肉は滋養になるのだが、様々な死体の肉が混ざり込んでヤバいことになってるので確定で毒になる。彼らを倒して手に入る「生肉団子」のテキストにはこうある。
"一体何の肉なのか、それは分からない"
"不安なら、口になどせぬことだ"
『SHADOW OF THE ERDTREE』 にて明かされた情報
・・・さあ、大人しく壺に入りなさい
そして、善き人になりなさい
お前たちは、巫子なのだから
追加DLC「黄金樹の影」にも壺人が続投している。
こちらでは角人たちによる壺人の作成方法が明かされており、歯の鞭のテキストから攫ってきた巫子と罪人の肉を壺に詰めるものだと判明した。こんな事をする理由は至極単純、罪人を「善い人」にするためである。「善人の肉と混ぜ込めば優しい人間に生まれ変わるだろう」というかなりサイコパスじみた発想であるが、影の地では「人の手による輪廻転生」という強い宗教的な側面から行われているのがうかがえる。この時混ぜ込む巫子というのは女王マリカの故郷である「巫子の村」から攫ってきた者達であり、中身肉というモブエネミーの外見が容姿の整った女性の肉塊という何とも形容し難いものになっていることからも犠牲者の辿った凄惨な結末がうかがえる。中身肉は例外なくプレイヤーを殺しに来るあたり、犠牲者がどんな感情を抱いて肉となったか察するに余りある。
「人の手による輪廻転生」と言えば聞こえはいいがやってる事は「来世に期待します」という事実上の極刑であり、彼らの本拠地ベルラートの外れにある極寒の地下道である「ベルラートの牢獄」では、なんらかの罪で投獄された亡者たちが壺人にされている恐怖に打ち震える惨状が映し出されている。恐怖のあまり「今すぐ善い人になりますので壺人にするのだけはやめて」という悔恨の声を漏らす亡者すら牢獄にいるあたり、角人以外からロクな所業としては認識されていない。
当然こんな事を故郷でやられてあのマリカが黙ってるワケがなく、角人の大粛清を息子に命じて彼らの首都ともいえる塔の街ベルラートを焼き尽くし、角人の居場所を徹底的に奪う事となった。それこそがメスメルの火である。ただ、この粛清の引き金がこうした中身肉の所業だけとは限らないが(メスメルの火自体、そもそも角人が狭間の地で呪いとして嫌われる忌み角達に似ており最初から差別対象だった、神獣獅子舞などに代表される無視できない脅威を有してたので早々に排除した等複数の理由が考えられる)
狭間の地の戦士の壺と成り立ちが大きく異なるが、大壺師の製法書の著者が故郷の陰惨な生業を憂い、各地を放浪としていた事から、死体を詰めるという作成方法のみが狭間の地に伝わり、勇敢に闘い斃れた者を取り込む戦士の壺が生まれたのではと考察されている。