概要
岩手県上閉伊郡松崎村(現:遠野市)にあった寒戸に住んでいた娘が、梨の木の下に草履を残したまま神隠しに遭った。
そして30年ほどたち、突然親族たちの元にすっかり老いさらばえた姿で現われたのだが、何があったのかを聞いても「みんなに逢いたいので帰ってきた」「山に帰らねばならない」としか話さず、何処かに去って行った。
その日はとても風が強かったので、遠野では強風が吹くと「寒戸の婆が帰ってきそうな日だ」と言うようになった。
余談
- この物語は柳田國男著の『遠野物語』で紹介されたが、民話収集家の佐々木喜善が収集した話しがベースとなっているといわれる。
- 佐々木喜善は自著『東奥異聞』で同様な物語を紹介しているが異なる部分もある。舞台は登戸という土地で、老婆となってからは毎年のように現われ、そのたびに暴風雨が吹き荒れるので村人たちは困り果ててしまい、巫女や山伏に頼んで石塔を建てて結界とし、訪れられないようにしたという顛末も語られている。
- 六角牛山の山男に攫われ、乙女ヶ沢という場所の岩窟に住んでいたともいわれる。
- 松崎村には「寒戸」という地名の記録がないため、柳田が意図して変えたという説もある。
- 明治初期に茂助という当主の娘が行方不明になって、数十年後に山姥のような姿になって村に帰ってきたという実話ともされる話しも伝わる。
- 遠野では父・茂助(もすけ)から取られたモンスケ婆という名で、しつけなどに使われていたが、『遠野物語』で有名になったため、語り手も「寒戸の婆」として語るようになったといわれる。
- 沖縄には海の底に攫われ異形の姿になって帰ってきた、ノロのイナフクバア(稲福婆)という類似した人物の言い伝えがある。
創作での扱い
- 水木しげる作品
強風の中にたたずむディティールが点描で描かれた老婆の妖怪画で紹介された。
日本独自の文化を憂う内閣総理大臣大高弥三郎が東北に訪れた際に、それと思わしき老婆と遭遇しゾッとするも「お化けも文化である」と本章は締められる。
関連タグ
子泣き爺:おなじく柳田が紹介した妖怪で、実在した人物が限定された地域で妖怪のように語られていたものとされる。