概要
1959年6月11日生まれ。1977年のドラフト6位に指名され大洋ホエールズに入団。
1年目、屋鋪の足の速さに目を付けた別当薫監督の指示で右打ちからスイッチヒッターに転向した。
1982年から監督に就任した関根潤三が打撃の基本であるレベルスイングを指導するようになると、左打席での打撃も上達し、1983年には初の規定打席(23位、打率.283)に到達。1984年には打率.305(リーグ13位)を記録する。
1985年は打率.304(リーグ11位)と2年連族で3割越えを果たし、13補殺を記録するなど守備でもチームに貢献。高木豊、加藤博一と共に「スーパーカートリオ」として活躍した。
1986年から1988年まで3年連続盗塁王を獲得。その後、故障が続き、1992年には左膝を、翌1993年には右膝を手術し、走塁での活躍も陰りを見せていきオフに球団がFAでの駒田徳広獲得の資金捻出の影響により自由契約となる。
1994年、読売ジャイアンツに移籍し代走守備固め要員として優勝日本一に貢献するも翌1995年にシェーン・マック、広沢克己の入団による出場機会が減少し同年引退。
引退後は、解説者、コーチを務めた。また、割と多趣味で、SLカメラマンや鉄道評論家、ラベンダー栽培講師としても活動している。