概要
編集・発行元の山陰中央新報社は、他にも週刊誌「山陰経済ウイークリー」の編集・発行も行っている。
前身は1882年に創刊された山陰新聞。しかし1901年に創刊された松陽新報との競争で敗れ、1940年に読売新聞傘下となる。
1941年12月に当時の国策に沿う形で松陽新報と山陰新聞が対等合併、1942年1月に島根新聞と改名した。1945年12月に読売との合同が解消された。
1952年に山陰新報と改名したものの、約5年後に島根新聞に戻した。そして1973年3月に今の題字となった。改名の背景には、山陰地区のテレビ放送相互乗り入れが関連する。山陰中央新報が出資するテレビ島根(1970年4月に開局)が1972年に山陰中央テレビに改名。テレビの相互乗り入れに合わせ、島根県だけだった販売エリアを鳥取県にも拡大した。この影響で鳥取県の県紙だった日本海新聞が一時期不定期刊となっってしまった(日本海新聞社が倒産し、労働組合が不定期に日本海新聞を発刊。その後鳥取県で不動産や紳士服の会社を経営する実業家・吉岡利固のグループにより受け皿会社の新日本海新聞社が作られ、結果日刊に復帰、現在に至る)。
2005年以降の竹島の日、竹島の領有権に関する報道を積極的に行っている。