ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

(? - 213年) 字は不明。

益州(現在の四川省)の劉璋の家臣。


生涯編集

貧しい家柄だったが、文武に優れていたため官吏として登用された。


隣の荊州から劉備軍が益州に攻め込んで来ると、冷苞鄧賢たちと共に劉備軍を迎え撃った。涪城で抗戦するも敗れたため、雒(らく)城に退去してここに籠城する。1年に渡って抵抗を続け、劉備軍の参謀・龐統を射殺することに成功するも、金雁橋に出撃したところ捕らえられてしまう。


劉備は張任の能力を評価し、臣下になるようを勧めたが、しかし張任は「老臣は決して二君に仕えず」と拒否した。やむをえず劉備は張任を処断し、丁重に葬ったという。


三国志』の書先主伝に張任の記述があるが、地方豪族の一家臣で生涯を終えているため記録は少なく、陳寿によって独立した伝も立てられていない。


三国志演義編集

劉璋臣下で最も有能な武将として登場する。

劉備を信用する劉璋を他の家臣達とともに諫め、宴の席で魏延が剣舞を始めて劉璋を暗殺しようとすると、自ら剣舞の相手を買って出てこれを防いだ。


後に劉備が益州征服の野心を露にして攻めてくると、雒城に立て籠もって抗戦し、巧みな軍略で劉備軍を大いに苦戦させた。さらに龐統を討ち取り、劉備をあと1歩のところまで追いつめ、張飛とも一騎打ちで十数合渡り合うも、最終的に諸葛亮の策に嵌り、ついに張任は捕らえられた。


その後は正史と同様である。劉備は張任を召し抱えようとするが拒否され、諸葛亮の進言を受け張任を処刑した。


創作編集

『アニメ映画三国志』(シナノ企画)では概ね三国志演義に沿っているが、作中で劉備を最も追い詰めた手ごわい敵将として登場する。最終的には張飛によって討ち取られた。


関連項目編集

三国志

三国志演義

劉璋

関連記事

親記事

劉璋 りゅうしょう

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 2145

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました