概要
益州蜀郡成都県の人。兄は張粛。
見た目は小男で勝手に振舞うところがあったが、識見や判断力には優れていたとされる。
彼を高く評価していた楊脩が、曹操が編纂した兵法書を見せると、すぐにすべて読んで暗唱して見せたことでさらに高く評価するようになった。
益州を治める劉璋の家臣だったが、一大勢力を誇る曹操が益州と隣接する漢中を治める張魯と手を組んで益州へ侵攻してくることを劉璋は恐れ、曹操に帰服を伝えるために三度も使者を送り、その三度目に張松が使者として赴いた。だが、曹操は張松を冷遇したことで、張松は腹を立てて劉璋に曹操とは絶交し、代わりに劉備と手を結ぶことを進言した。
張松は法正とともに劉備への使者として赴くと、曹操の時とは打って変わって厚遇された張松は、劉備に益州の軍備や地理について詳しく語ったため、劉備の入蜀への手助けをしてしまう。
益州に入った劉備だったが、同盟している孫権から曹操が攻めて来たため、救援を要請されていた。劉備はそれを逆手とって入蜀のための兵力移動の隠れ蓑とすべく劉璋に救援に赴きたいために兵と物資を借りようとした。しかし、張松だけは劉備の真意が読めず、劉備が離れるのではと恐れて劉備に手紙を送り引き留めようとした。だが、このことを知った兄の張粛は劉璋に密告したことで、激怒した劉璋によって捕らえられて処刑された。
『三国志演義』では、風采の悪い人物として描かれている。
張魯が益州を狙って動き出している噂を聞き、その脅威から益州の地を守るために曹操に助力を得ることを提案し、四川の地理が細かく記された「四川地理図」を作成し、それを持って曹操の謁見に赴く。しかし、謁見した曹操から冷遇されたことで曹操に幻滅した態度を取って楊脩らに咎められるが、楊修の前で曹操が書いた兵法書「孟徳新書」を全て丸暗記してみせたことで彼に感嘆とさせ、楊脩のとりなしで再び謁見することが出来た。しかし、張松は冷遇された不満から愚弄する発言を繰り返したことで、百叩きの刑に遭って追い返される。
張松はそのまま益州に戻ろうと思ったが、ふと人徳に名高い劉備を思い出し、劉備がいる荊州へ向かった。すると、曹操の時とは一転して劉備から手厚い歓迎を受けることとなり、それに感銘を受けた張松は、劉備こそ益州を治めるにふさわしいと考え、劉備に「四川地理図」を譲った。
その後は盟友である孟達、法正と共に劉備を迎え入れるための準備を行うが、その最中に兄の張粛に目論見がバレて捕まり処刑される。
横山三国志における出っ歯が特徴的な容姿が有名で、ゲーム作品では「おそ松くん」に登場するイヤミのような感じになっている。
それと関係しているかは不明だが、ファンからは「チョロ松」の愛称で呼ばれている。