概要
平成ノブシコブシのツッコミ担当。(一部のネタはボケ)1980年(昭和55年)9月16日生まれ。千葉県君津市生まれ、北海道別海町出身。
もともと料理人志望だったが、高校のクラスメートに「芸人になったほうがいいよ」と言われてNSCに入学、同期の吉村崇に誘われてコンビを結成する。当時吉村のことを「同期の中で一番面白い」と感じていたため、声をかけられたときはとても嬉しかったというが、吉村にはあまり伝わっていなかった。
一見すると物静かでクールなキャラに見えるが、相方よりある意味破天荒なところがある。
有名なエピソードとしては
- 結婚していたこととすでに子供がいることを5年間相方に隠していた(理由は「聞かれなかったから」)。ついでに離婚も再婚も特に報告がなかった
- 両親の離婚で一時的に苗字が変わったが、これも相方に隠していた(理由は同じく「聞かれなかったから」)
- 昆虫などのゲテモノを平気で食べることができる
- ロケで海外の部族の集落にホームステイした際、風習にあっさり順応した
- 人通りの多い道で音楽を聴きながらノリノリで歌っていた
- 雪の降る寒い日に半袖半ズボンで歩いて家まで帰った(足元は年中サンダル)
などの常識外れのエピソードから『サイコ野郎』あるいは『サイコ様』と称される。
本人は後年になって「サイコ野郎」な振る舞いをしていたのは、10代の頃の家庭環境から常識的な感覚や礼儀作法が身につかず、感情を表に出すのが苦手になったためではないかと語っている。
小学生の頃に父親が単身赴任になったことがきっかけで母親が統合失調症を発症。その後、父とは多忙を理由にほとんど音信不通となり、中高生の頃は父に代わって母と妹の面倒を引き受ける、いわゆるヤングケアラー状態であった。
中学2年生のときに両親の地元である北海道に転居するも、母親の調子はなかなか良くならず、高校時代は「家にいたくない」という気持ちから、朝夕の新聞配達のアルバイトをしていた(なお、その母は後にアルコール依存症を発症、徳井が芸人になってから自殺している)。
先輩芸人の小籔千豊から説教されたり、事情を知った千鳥からフォローを受けたりした結果、現在では問題行動もかなり改善されている。また、2024年からはヤングケアラーの啓発のために講演活動も行っている。
前述の通り2005年に結婚して2人の息子が生まれたが、後に離婚。この事も相方にすぐに言わなかった。
その後、シンガーソングライターの藤田恵名と再婚、新たに子供も生まれた。なお、婿に入ったようで、現在の本名は「藤田健太」である。
ちなみに藤田はグラビアアイドルとしての活動も並行して行っており、ヌードでギターを弾く写真などもあったことから、吉村からは「裸で音だすやつが好きなのかい?」と冗談めかして言及されている。
基本的にあまり欲がない方で、吉村とは対照的に「売れたい」「目立ちたい」というハングリー精神がないという。
趣味は料理、食べ歩き、筋トレなど。下戸の相方に対して飲める方だが酒乱の傾向があり、若い頃酔って階段から落ちてしまい大怪我を負っている。また売れない頃からギャンブルにハマって多額の借金を作っていた。
ももいろクローバーZの大ファンであり、ももクロの話をするときは『ももクローズ・ハイ』を自称するほどテンションが高くなる。金田哲や塚地武雅、ノブ、ハライチの2人とはよくももクロのライブに一緒に行っている。
芸人である前に大のお笑い好きであり、近年は他の芸人について研究・分析して語る仕事が増えてきている。本人は「分析ではなく褒め芸」とのこと。
それと同時にしくじり先生にも『しくじり学園お笑い教室』で迷える芸人たち(ゾフィー、インディアンスなど)のアドバイスをする立場(主にアルコ&ピースの不在時)で出演することが多い。
普段から後輩芸人の面倒見もよく、売れない芸人にも気さくに声をかけて励ましているという。令和ロマンの命名にも携わっている。
座右の銘は『狂乱麗舞』。
関連項目
兼近大樹…こちらも北海道出身で、昆虫食が出来る芸人。