概要
畿内五国のうち摂津国・河内国・和泉国の三令制国を指して摂河泉と称した。なお江戸時代末期には河摂泉とする古絵図もあるように順不同である。
天平宝字元年5月8日(ユリウス暦757年5月30日 / 遡及グレゴリオ歴757年6月3日)に河内国から分割して和泉国が建置されてると、摂津国・河内国・和泉国の境界は三国山と称され、三令制国のいずれにも属さない方位のない清地として方災除の神を祀る方違神社が創建された。また三令制国の境界線上に成立した都市が堺(現在の堺市)であり、地名は摂河泉三国の境に由来する。
明治維新期の廃藩置県によって藩が廃止され府県が設置されると、大阪府下の摂津(大阪地域、三島地域、豊能地域)・河内(南河内地域、中河内地域、北河内地域)、和泉(泉北地域、泉南地域)全体をひとまとめにして大阪都市圏としての意識が形成されていった。そのため大阪府は摂河泉大阪としてひとつの都市であると認識され、一方では西摂地域と呼ばれる兵庫県の川辺地域、有馬地域、武庫地域、菟原地域、八部地域が摂河泉に含まれない傾向にある。
余談
大阪府下で旧国名をそのまま名乗る(名乗った)市町村には以下がある。
- 摂津国
- 「摂津市」 - 三島郡三島町が改称して1966年(昭和41年)11月1日に市制を施行。
- 河内国
- 「河内市」 - 中河内郡若江村、玉川町、盾津町、英田村、三野郷村が合併して1955年(昭和30年)1月15日に市制を施行。
- 和泉国
なお河内市は布施市、枚岡市と合併して1967年(昭和42年)2月1日に東大阪市となったため摂河泉三市が揃った期間はわずか3ヵ月間であった。