当初は川崎氏による個人事業だったが、1978年に株式会社新日本企画となる。
ブロック崩しのコピーゲームでゲーム業界に参入し、アーケードゲーム中心で活動するゲームメーカーとなる。同時期にスペースインベーダーのライセンス生産を行なったこともあってか、同社のゲームは以後暫くタイトーそっくりの作風が続くようになる。
1979年に同社初のアクションゲームとなる「与作」を発売している。同作は後にエポック社によってカセットビジョンに「きこりの与作」のタイトルで移植されており、同機のローンチタイトル兼キラーソフトとして人気を博すことになる。
(但し、この移植版は新日本企画の許可を得ていなかったとも言われている)
1980年頃から新日本企画(Shin Nihon Kikaku)の頭文字を取ったSNKという略称をブランド名として活用し始めている。
1986年にSNKに社名変更。当時ローマ字は登録できなかったため登記上はエス・エヌ・ケイとなった。