海原電鉄
うなばらでんてつ
海原電鉄とは、映画「千と千尋の神隠し」に登場する鉄道会社である。ここではいくつかの項目に分けて解説する。
「電鉄」と銘打ってはいるものの、架線や第3軌条は存在せず、気動車(ディーゼルカー)で運行(現実でも「電鉄」を名乗っていながら気動車で運行している鉄道路線が実在した)。
列車は二両編成。前面には屋根上の丸型前照灯および赤色灯がついている。また中央にはオレンジの背景に黒い太文字で「中道」とかかれた表示板がつけられている。中道(ちゅうどう)は仏教において「その場でベストな選択をすること」や「楽をしすぎず無理をしすぎず、バランスをとって行動する」という意味を持つとされている。
ちなみに、絵コンテでは「中道」ではなく「高速」と描かれている。(この種別はほぼ名古屋鉄道特有の種別であり後述の名鉄モデル説を裏付けている。)
車体は木目調でツードア。窓の数は列車が登場する場面によって変わっている。型番らしき板もある。
車内は赤い対面型のシートに木目調の内装、扇風機とレトロ調だ。車掌室の壁には、広告板も貼られている。乗客が運んでいるとみられる大荷物も床に置かれていた。
油屋の世界の住人達が主にこの鉄道を利用している。釜爺は昔使っていた回数券の残りを千尋に提供した。
確認できる乗客はカオナシと同じく不透明な黒い影のような人達で、顔を見ることはできない。中年層が大半であり、また普通の人に比べ、少し大柄なようす。映画ではくたびれた感じで座っていたり、たっていたりした。
彼らは死者で、死後の世界へ向かっているとする説もある。踏切のシーンでは少女と父親とおぼしき2人が登場。踏切の先にある町に住んでいるのだろうか。
沼原駅
先ほど述べた乗客が全員降車していった駅。おそらくそのまま地下通路で町と繋がっているであろう、出口が水面下へと続く有人改札口が1つだけある。駅名表示板もその脇にあった。映画では、駅のすみっこで少女が走り去る列車を佇んで眺めている様子が描かれている。
駅の前は特になにもないが、少し行くと町がある。(映画館や温泉などもあるネオン街)
楽復時計台駅から油屋まで地下トンネル(二本あり、何れも沼原方面へ向かう気動車を運行。油屋のたもとで線路が合流する)でそこから地上に出て、沼原、沼の底方面へ向かう路線が確認されている。
釜爺いわく、昔は戻りの列車もあったらしいが今は行きっぱなし(一方向運転)だという。
この路線は環状線になっている。(映画公開当時のパンフレットで、宮崎駿が言及)また、少なくとも40年以上は運行している。
踏切の通過シーンや線路を映したシーンから数学的に計算すると、海原電鉄の運行速度はおよそ60km/hくらいだと考えられる。
路線は大雨で氾濫する湿原をつらぬいている。油屋世界には油屋周辺以外にも町が点在し、その中を通ったり、その町方面へ路線が伸びていたりする。映画では、氾濫した「海原」の中にぽつんと民家や踏切が浮かんでいてとても幻想的である。
↑踏切と民家
劇中でも屈指の名シーンである乗車場面だが、これは1959年に発生した伊勢湾台風での出来事をモデルにしていると思われる。
伊勢湾台風とは日本の災害史上でも最悪の部類に入るほどの被害をもたらした台風であり、川の氾濫はおろか、その強烈な雨風によって海の堤防が破壊され低地に海水が逆流し水没させるほどの強烈なものであった。
そのため、台風が上陸した伊勢を中心に広範囲に渡って土地が海水に浸水する被害を受けた。当然、被害地域に線路を敷いていた各鉄道会社も被害を受けたため復旧工事に入るのだが、名古屋鉄道(名鉄)の常滑線においては水没した営業路線の復旧作業が終了するまでの間、水没した海上に仮線を敷設し海面スレスレのところを運行し乗客を乗せていた。
まるで海面上を走行するかのような列車を見た当時の住民達は人も家も町も田んぼも何もかも破壊され水没し悲壮感が漂う中で、さながら、海を斬るかのように力強く走る名鉄の列車の姿に感動し元気付けられた人がいたと言われている。