烏帽子
えぼし
一般的には黒漆を塗った紙製で出来ており、庶民のものは麻糸を織ったものである。本来男性用であるが、白拍子など女性が被る場合もある。
衣装の格式や着装者の身分によって後述するようないくつかの種類があり、厳格に使い分けた。なお、内裏への参内の際にかぶるのは烏帽子ではなく冠であった。このため公務の多くが宮中で行われる公家においては、烏帽子は普段着用のかぶりものであった。これに対して武家の公務は参内ではなく主に幕府等で行うため、武家の世界では公務でも烏帽子を用いた。
成人男性の象徴でもあり、鎌倉時代頃までは公家・武家・庶民を問わず、成人男性は日常でも烏帽子をかぶり、無帽は僧侶か烏帽子も被れない貧民とみなされるという文化があったらしい(庶民については地方の記録が少ないので不明な点もあるが)。子供は烏帽子を被っておらず、有力な公家・武家の男子が初めて烏帽子を被る時は「元服」という儀式が行われた。当時の成人式のようなものである。この時、元服する男子に烏帽子を被せる役目を負う人物が後述する烏帽子親であり、その男子の人生において重要な意味を持つ人物が選ばれた。
力のある公家や武家の子弟が元服する際、朝廷やその地域を治める実力者が「烏帽子親」となって「花冠の儀」を執り行うことがある。たとえば、徳川家康の場合、当時、主君であった今川義元が烏帽子親となって「花冠の儀」を執り行い、「義元」の「元」の字を与えて「松平元信(後に元康)」と名乗らせ、後に養女(築山殿)を娶らせている。これは元服した者にとっては主君(実力者)が「後ろ盾」となることを意味し、「烏帽子親」となった者にとっては恩寵を与えることによってみずからの手駒となる者を増やすことを意味した。
立烏帽子
主に公家の普段着である狩衣に合わせ、左右から押しつぶした円筒形をしており、烏帽子の中では最も格式が高い。武士でこれを被っているのは、公家に準ずる上級の武家である(時代劇では今川義元や平清盛などが着用している)。
現在も神官などが着用する。
風折烏帽子
立烏帽子の動きの邪魔になる上三分の一ぐらいを折った烏帽子で、カジュアルな烏帽子として上皇や公家たちが用いた。室町時代には上級武家も用いている。
侍烏帽子
折烏帽子ともいい、立烏帽子を何度も折り畳んだもので武士のもっとも一般的な烏帽子。江戸時代では下級武士の正装である素襖着用の際の被り物として着用された。室町時代までは庶民も使用し、現在も大相撲の行司が着用している。
揉烏帽子
薄布を用い、五倍子で染めたり軽く漆をかけて揉んだりして柔らかくした烏帽子。庶民の烏帽子の代表(「かぐや姫」の翁が被る烏帽子として絵本に描かれるケースが多い)。武士も兜の下に被ったりしている。
鉄烏帽子
鉄製の烏帽子。