「あしたのジョー」のラストシーンで、矢吹丈がホセ・メンドーサとの死闘後に笑顔で発したモノローグである。
概要
ベタを廃した真っ白い画面と、リングのコーナーに座ったジョーが微笑む姿と共に語られるこのセリフはあまりにも有名で、現在でも様々な媒体でパロディを見る機会があるため(最近だと「天元突破グレンラガン」「暗殺教室」など)「あしたのジョー」を詳しく知らなくとも、このシーン+セリフは知っている、という人も多いだろう。
pixivでも、このシーンを他版権キャラに置き換えたパロディイラストにタグが付けられている。
作品内での経緯
主人公・矢吹丈(以下ジョー)が数々の強敵との戦いの末にようやくたどり着いた世界タイトルマッチ。
それより以前の力石徹との一戦で、ジョーは敗れはしたものの心も体も全力を尽くした戦いによりそれまでの人生では感じたことのなかった大きな幸福に包まれていた。しかし試合中の負傷により試合後に力石は死去。ジョーは大きなトラウマを背負うことになる。
そのトラウマを抱えて欠陥ボクサーとなってしまったジョー。そのトラウマはカーロス・リベラとのボクシング以前の野蛮なケンカマッチで払拭。再び充実感を感じていた。しかしそのカーロスは世界チャンピオンのホセ・メンドーサとの戦いで重度のパンチドランカーになってしまい、一人では服のボタンを締められないほどの姿となってしまう。
ただしこれら死・廃人といった姿はジョーにとっては決して「ミジメ」なものではなく、逆に「憧れ」といっていいほどの物でもあった。不完全燃焼でブスブス燻るよりもボクシングに青春の全てをつぎ込んで燃やし尽くすことがジョーの念願でもあったのである。
迎えたホセ・メンドーサとの世界タイトルマッチ。この戦いの以前からジョーにはパンチドランカーの疑いがかかっており、白木葉子が依頼した医者によりその疑いは確定となった。葉子は必死に泣いてジョーに試合の中止を訴えるもののジョーはそれを断って試合に向かう。
そして本番ではホセの強さに圧倒されるもののこれまで培ってきたケンカ殺法でホセの弱みを嗅ぎ付けて反撃。最終的に判定負けは喫したもののホセが恐怖のあまり白髪になるほどの熱戦を繰り広げた。
この試合終了後、コーナーに佇むジョーから発せられたのがこのセリフである。
名場面誕生の経緯
原作者の梶原一騎が提出した最終回のネームにおける丹下段平の台詞に、ちばてつやがどうしても納得できず、梶原一騎に変更を申し出、梶原も了承。
ちばがラストシーンを考案する事になる。
しかし変更の申し出をしたものの良い案が浮かばず、迫る締切に焦っていると、当時の担当編集が、何気なく読み返していたシーンに、青春も何もなく殴り合いに身を投じる自分の境遇を嘆かないのかと問われたジョーが、「リングの上で戦い燃えカスなど残らない真っ白な灰だけが残る充実感はボクシングに出会わなければ手に入らなかっただろう」と、返すシーンを発見。
これこそあしたのジョーと言う作品に相応しいテーマでは無いか!と、ちばに提案しちばも了承。以後ちばは曰く『何かに憑りつかれていたように』最終回の執筆に入る。
原作者の梶原一騎はこのシーンを見た時『これで正解だ』『この作品は君の物だ』と、最大級の賛辞を送ったという。
このシーンを描き終えた後ちばてつやは、それこそジョーの様に『真っ白に燃え尽きた』ような感覚に陥り、しばらくの間ジョーが全く描けなくなってしまったという逸話が残っている。
「真っ白に燃え尽きた」その後
なお「真っ白に燃え尽きた」後のジョーがどうなったかについては、作中では描かれておらず不明。
原作者の梶原一騎の案では「白木邸で穏やかに横たわるジョーを、傍らで笑顔で見守る白木葉子。生死は不明。」といったラストイメージがあったと言われているが、漫画担当のちばてつやは「自分のなかでラストシーンの意味は決まっているが、決して言わない」という趣旨の発言をしており、実際はどうなったのかは、読者の解釈に任されている。
そして2015年9月、スポニチの取材に対し…
ちばてつやは「真っ白」に込めた思いを次の様に語った。
「真っ白になるまで頑張れば…
新しい明日が来ると、若い人に伝えたかった。
いい加減な仕事をしていては明日は来ない。
やろうと決めたことに全力投球してほしい。
そうすれば、きっと自分の中に何かが残る。
次の何かに頑張るとき、生きるものがある!」
関連イラスト
『あしたのおジョー』
としまえん
東京都練馬区になる遊園地、としまえんが閉園を迎えた。94年の歴史に幕が降りた。
(真っ白に燃え尽きたシーンに「Thanks」
の文字が添えられた広告がツイートされた)
関連タグ
燃え尽きた(表記ゆれ)