プロフィール![編集](https://s.pximg.net/source/dic/images/icon_edit_partial.svg?20120424)
棋暦![編集](https://s.pximg.net/source/dic/images/icon_edit_partial.svg?20120424)
1980年から4年連続で順位戦昇級を果たし、1984年には27歳でA級八段と出世は非常に早かった。それまでに勝率第1位を4回取るなど旭日の勢いであった。
序盤研究に定評があり、通称は「序盤のエジソン」。居飛車穴熊、無理矢理矢倉、串カツ囲いなど戦法を開拓した功績は莫大である。
ただその反面と言うべきか終盤戦が弱く、タイトルは1988年の棋聖1つに終わった(トーナメント戦での優勝は多かったが、その大半が若手時代)。
現在の加藤一二三には及ばないがメディアへの露出は多く、公文のCMに羽生善治と共に出演したり平成教育委員会にも出たり将棋漫画の監修をしたりしていた(少年サンデーに掲載された365歩のユウキ。また5五の龍にも棋譜の協力をしていた)。
また出版物も多かった。
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谷川浩司 若手時代かなり過激にライバル視していた。
羽生善治 羽生キラーと呼ばれ、「羽生必敗の法則」なる書物を出版した事もある。