誤解について
この名称から、特に将棋をあまり知らない人には誤解されることが非常に多いが藤井システムの考案者は今や将棋の顔となっている藤井聡太ではなく羽生世代の一人、藤井猛である。
歴史
誕生前夜
振り飛車、それは現在残っている最古の棋譜にも現れる将棋の二大戦法の一つ。生まれて数百年、居飛車とどちらが優れているかで血で血を洗う死闘を、熱戦を繰り広げてきた。振り飛車の特徴は美濃囲いや振り飛車穴熊などで玉を居飛車より固く囲い、攻めを受け、カウンターを狙うという受け重視の姿勢である。角が玉側にないからこそ角の通り道を開ける必要がないため固く囲うことが可能だったのだ。
しかし1970年代、振り飛車に史上最大の危機が訪れる。それが居飛車穴熊の誕生である。もはや暴力とまで言える玉の圧倒的な固さ、遠さはそれまで居飛車の攻撃を受け、カウンターを狙うのが基本方針である振り飛車をすさまじい勢いで駆逐した。
この時期の棋界を青野照市は「居飛車党は矢倉の研究が忙しいから、振り飛車には穴熊と左美濃を交互にやってればいいんだ」と表現した。
もはや振り飛車に未来はないのか…そう多くの振り飛車党が嘆く中、一人の四間飛車を愛する男が群馬からやってきた。この男こそが藤井猛である。
藤井には他の振り飛車党とは違った特徴があった。それが「居飛車の感覚を持っている」ということである。藤井は三段リーグに在籍していたころにはメインウエポンを振り飛車としながらも居飛車の勉強もしており、それゆえ「敵陣を縦から攻略する感覚」、「攻撃的な布陣」などの指し回しを把握していた。
対天守閣左美濃の開発
最初は「天守閣美濃(左美濃)」に対する藤井システムが開発された。これは藤井の先輩である杉本昌隆が先に指していた戦型であるが、それを体系化し一つの戦術として通用するよう昇華させたのは藤井である。天守閣美濃を固い横からではなく弱点である玉頭から攻撃する。この手を行うためだけに藤井は極限まで無駄な手順を省き、天守閣美濃を粉砕する。
この対左美濃藤井システムの誕生により今日に至るまで天守閣美濃はプロ将棋界では絶滅状態となっている。
対穴熊藤井システムの開発
対振り飛車の有力手段でもあった天守閣美濃を撃破する方法を考えついたしかしこれはまだ振り飛車の復活には至らなかった。なぜならまだ居飛車穴熊を攻略する方法は考案されていなかったからである。その後藤井は穴熊への最終兵器である「対穴熊藤井システム」の開発に没頭することとなる。
1995年12月22日、 第54期順位戦B級2組7回戦・対井上慶太六段戦、藤井は対穴熊藤井システムを初採用した。
結果は…47手で先手勝利という藤井の圧勝であった。(※1)
当時井上は6戦全勝でトップを走っていたため、将棋の内容ではなく「井上の全勝が止まった」ということが話題になり、藤井システム自体は全く注目をされなかった(※2)
この対局に手ごたえを確信した藤井は、手の内を明かさないために藤井システムを封印。さらに2年半を研究に費やす。
※1…通常、プロの将棋は100手前後まで手数が進み終局するのが基本である。藤井の圧勝ぶりが分かるであろう。
※2…幸いにもここでほとんど注目されなかったために数年後藤井システムが本格的に登場するまで誰も対策を立てなかった、という裏事情もあるが。
藤井システム全盛期~藤井システム、棋界を席巻~
一号局から数年後、さらに進化した藤井システムを藤井は解禁。1996年度の升田幸三賞(※3)を受賞する。
1998年の竜王戦挑戦者決定戦で前年に史上初の七冠を達成していた羽生善治を撃破し挑戦権を獲得。なお手の内を明かさないためこの挑戦者決定戦で藤井システムは採用していない。(※4)
そして竜王戦七番勝負、相手は当時竜王・名人の二大タイトルを獲得していた 谷川浩司。最強の相手に対してついに藤井は秘蔵っこ藤井システムを投入、4勝0敗のストレートで勝利と谷川を圧倒し、竜王を獲得した。
藤井の竜王獲得と藤井システムの衝撃は棋界全域にすぐ広がり、日本将棋連盟が発行する月刊誌「将棋世界」の表紙では藤井の写真と共に「藤井システム、将棋界を席巻!!」の字が大きく印刷された。
翌年には鈴木大介(※5)、さらに翌年には羽生の挑戦を退け史上初となる竜王3連覇の偉業を達成した。
若手注目株の一人にすぎなかった藤井猛六段は藤井システムによってたった2年で(※6)序列一位の藤井猛竜王、九段へと変貌したのである。
加えて当時、近藤正和が考案した「攻める振り飛車」であるゴキゲン中飛車(※7)の大流行もあり居飛車穴熊で終わったとされていた振り飛車は完全復活を果たした。
※3…その年度で最も優れた新戦法、妙手を創り出した者に与えられる賞。「新手一生」を旗印に数々の新戦法を考案した升田幸三に由来する。
※4…具体的に言うと、藤井は後年「羽生さん相手にシステムっぽいのをやったのですが、羽生さんから変化してきてシステムという感じにならなかった」と語っている。
※5…もっとも鈴木は振り飛車党で藤井は「全局居飛車で戦い抜く」と宣言していたためこのシリーズで藤井システムは登場しなかったのだが…
※6…六段以下の棋士が竜王挑戦を決めると七段に昇段、獲得すると八段、防衛すると九段に昇段する。そのため藤井は「『藤井六段』⇒竜王挑戦で『藤井七段』⇒竜王獲得で『藤井竜王(八段)』⇒竜王防衛で『藤井竜王(九段)』⇒竜王失冠で『藤井九段』」となったため八段を名乗ったことがない。
※7…ゴギゲン中飛車は飛車を中央に振り、角道を止めない攻撃的戦法。「振り飛車は受けの戦法」というのが普通だった当時、藤井システムと同じく革新的な戦法だった。
衰退~復活、そして現在
しかし藤井システムほどの名作戦であっても当然弱点は存在する。その弱点を居飛車党、いや、藤井以外の棋士は一丸となって研究し藤井システム対策を組み上げる。2001年、藤井は羽生の再挑戦を受け1勝4敗で竜王を失冠。
それから藤井システムは冬の時代が続き2006年の朝日杯で羽生に敗北したことを、「システム最後の花道」として藤井は藤井システムを本格的に採用することを辞めた。(※8)
それから月日は流れ2016年…
銀河戦決勝トーナメントに出場した藤井は先後関係なく伝家の宝刀藤井システムを全投、そして全勝し銀河を獲得。自身11年ぶりの棋戦優勝であり、また最年長銀河の記録でもある。藤井猛銀河と共に藤井システムは復活を果たした。
現在でも藤井システムは研究が進められており、さらなる復権が待たれる。
2021年には 土用の丑の日に行われた郷田真隆との対局で藤井システムを採用し勝利した。
(※8)…連投することはなくなったがごくたまに単発で採用することは以降もあった。
作戦の概要
まず初めに飛車を4筋に振る。そしていきなり殴りかかるのではなく玉は一切動かさずに金銀を動かして美濃囲いの枠だけを作り上げる。
相手が穴熊、左美濃などの持久戦で来るのであれば角道を開けて玉を斜めのラインから攻めていき相手陣を木っ端みじんにする。これがあの有名な藤井システムである。
一方、相手が急戦で来るのであればあらかじめ作っておいた美濃囲いに玉を入城させて戦う。基本的に居飛車対振り飛車の急戦では居飛車側の陣より振り飛車側の美濃囲いの方が耐久力で勝り、分があるため互角以上の戦い方ができる、というわけである。
よく「藤井システムは攻め一辺倒の作戦」のように紹介されることがあるがこのように持久戦、急戦どちらにも対応することが可能。
このように藤井システムは特定の駒の動きというより自陣の攻守の組み方の戦法であり、時には囲い、時には居玉のまま攻め、三間飛車や向かい飛車、相手玉の筋に飛車を振りなおすこともあり変幻自在の戦いを強いられる。これこそが「戦法」ではなく「システム」という名前の由来である。
ちなみに藤井システムは狙いが単純で真似がしやすいように思われるが、実は非常に複雑かつ繊細な戦法であるため極めるのは非常に難しい。そのため「藤井でないと藤井システムは指しこなせない」と言われている。
まぁもう一人、どんな戦型でも指しこなせて、当然藤井システムも完璧に指しこなせる鬼畜眼鏡がいるんだけどうわなにをするくぁwせdrftgyふじこlp
藤井システム考案の基盤
この戦法の発案には「スーパー四間飛車」で知られる小林健司と正統派振り飛車党で有名な杉本昌隆の四間飛車研究が深くかかわっている。特に左美濃を上から攻める発想は先述した杉本が奨励会時代に指した棋譜や林葉直子の構想が参考となっている。
考案者本人の解説(動画)
余談
聖地
藤井システムを開発している中でどうしても打破することができない局面が登場し、藤井は手詰まりになってしまった。そんなある日、藤井は婚約者(現在の藤井の妻)と共に鎌倉の円覚寺を訪れ山腹にある弁天茶屋という茶屋で抹茶を飲む。
この抹茶を飲んだ瞬間に課題局面を打破する好手「3五歩」の突き捨てを考案し、藤井システムの研究が再び進展を見せた。
このエピソードから円覚寺、及び弁天茶屋は藤井猛ファンの聖地と化している。
藤井システムのこれから
2021年、元奨励会三段の石川泰は自身のYouTubeチャンネルにおいて
この2点から今後藤井システムの需要度が増す可能性が非常に高いと語り、システム復権の可能性を示唆した。
上記の動画
藤井システムのここがすごい
- ゴキゲン中飛車とともに当時終わったとされていた振り飛車の救世主となった
- ゴキゲン中飛車とともに「振り飛車=受けの戦法」という従来の価値観を完全に打破した
- 将棋における基本中の基本、「居玉は避けよ」を完全無視
- 攻め合いになると居玉は耐久力という面で不利すぎるから。当たり前だね
- それだけでなく同じく基本中の基本「玉飛接近するべからず」もガン無視
- 飛車の近くでは戦いが起こりやすく、玉が近くにいると危ないから。これも当たり前だね
- その革新的発想から「300年の将棋の歴史を変えた」、「将棋に革命をもたらした」と評される
- 飛角銀桂香全てが攻め駒としてフルで躍動し、一見意味のない手でもしっかり意味があるように構成されている
- 将棋年鑑2018で現役棋士全員に対して行われた「登場したときに最もびっくりした戦法はなんですか?」という質問で堂々得票数一位を獲得
- 飯塚祐樹「藤井システムの特異な点は、すでに完成されたひとつの分野として提示されたことです。藤井さん独自の研究量·新手の多さでも際立っており、今後このような新研究は現れないのではないでしょうか。」
- 大平武洋「世代が大きな影響を受けた戦法。みんな、狂いそうなほど研究しました。将棋の才能という面では、藤井九段が現役で一番ではないかと思います。」
- 先崎学「私が思うにプロ棋士最大の奇襲戦法は藤井システムです。振り飛車にして、穴熊に囲って持久戦を目指す相手に対して攻めまくる。とりあえず穴熊にして、これで終盤までは王手をかけられないと、のほほんと構えている相手に飛びかかる。奇襲作戦の全てが詰まっています。一世を風靡したのも当然です。」
- 佐藤康光「この戦法がすごいのは、藤井さんがひとりでシステムを構築したこと」
- 羽生善治「最初はふざけてるのかと思いました」
- 同じく羽生善治「創造の99%は既にあるものの組み合わせですが、藤井システムは残りの1%です」
- ちなみに藤井猛「藤井システムってあるでしょ? あれ、おれだよ」
- こんなにすごい戦法を藤井猛たった一人で全て創り上げた。
- 当然実用的な将棋ソフトなんて開発されていない時代だから正真正銘の一人でである
- だからこそ藤井猛vsその他の棋士全員という状態で藤井システムが対策され尽くしたわけであるが…
- 2019年、将棋ソフトが外部からの情報を一切入れずに自己対局を繰り返した結果、居飛車穴熊対策に藤井システムを独自で編み出した。
- 将棋ソフトの20年以上先を進んでいた男、藤井猛