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概要(基本プロフィール)

棋士番号197
生年月日1968年11月13日(52歳)
出身地愛知県名古屋市
師匠故・板谷進九段
段位八段
保持タイトル-
竜王戦2組(1組-8期)
順位戦B級2組24位(B級1組-4期)

日本将棋連盟非常勤理事(2012年-2014年)。弟子に藤井聡太室田伊緒女流二段、中澤沙耶女流初段ら。

棋歴

年度主な実績
1980年度10月、板谷九段門下として6級で奨励会に入会。
1990年第7回三段リーグで13勝5敗2位の成績となり、10月1日付の21歳で四段昇段(プロ入り)。
1998年度第48回NHK杯テレビ将棋トーナメントで森内俊之八段、屋敷伸之棋聖らに勝ち、ベスト4進出。(準決勝で堀口一史座四段に敗れる)。
2001年度第20回朝日オープン将棋選手権で森内八段、中原誠永世十段らを破り決勝へ進出。決勝五番勝負では堀口五段に1勝3敗で敗れ、準優勝。
2003年度第16期竜王戦ランキング戦3組で優勝。
2004年度第17期竜王戦ランキング戦2組で準優勝、自身初の1組昇級を果たす。
2008年度第67期B級1組順位戦では渡辺明竜王に勝利するなどして最終成績8勝4敗の好成績を収めたが、高橋道雄九段や井上慶太八段より順位下位により頭ハネで昇級を逃す(タイトル挑戦・棋戦優勝・将棋大賞受賞歴が全くない杉本がA級に昇級していれば、田丸昇九段以来の珍記録であった)。
2015年度第74期B級2組順位戦では最終成績3勝7敗で降級点2となったため、C級1組に降級。
2018年度第77期C級1組順位戦では近藤誠也六段、船江恒平六段、藤井聡太七段とならんで最終成績9勝1敗の好成績を挙げ、順位差で近藤六段ともにB級2組に復帰。50歳での昇級は史上4位の年長記録となった。19年2月、勝敗規定により八段に昇段する(四段から八段まで全て勝数規定で昇段したのは阿部隆九段、中田宏樹八段、中川大輔八段、日浦市郎八段、泉正樹八段、神崎健二八段、中田功八段に続き史上8人目である)。
2020年度第33期竜王戦ランキング戦3組では菅井竜也八段らを破り決勝に進出、2組復帰を決める(決勝戦では弟子の藤井聡七段と対戦するが敗れる)。

余談

  • 振り飛車党として知られ、特に四間飛車・中飛車を得意とする。杉本が所属する板谷一門は、「振り飛車はよくない」、「若いうちは居飛車でいきなさい」という考え方の一門であった。そのため、奨励会に入った当初は居飛車党であったが、2年間6級のままであったことと、自分の武器は体力だと知ったことから、振り飛車党に転向した。
  • 杉本の振り飛車は奨励会時代から定評があり、先に四段に上がった故・村山聖九段は「全振り飛車党の中で唯一の本格正統派」****「メチャクチャ格調が高い」と評していた。また、共に三段リーグを戦った藤井猛九段は、当時三段リーグにおいて振り飛車党が苦戦を強いられていた状況を踏まえ居飛車も指せるようになっていた方がよいのでは、と迷っていたところ、杉本が振り飛車を中心に指しこなしてプロになったのを見て勇気づけられ、翌期は振り飛車一本で臨み15勝3敗の好成績を残してプロ入りを果たした。
  • 名古屋市を中心に、主として東海地方で熱心に普及に努め、地元では非常に人気が高い棋士である(藤井二冠の師匠となったのはこれが要因でもある)。

関連タグ

将棋 棋士 藤井聡太 師匠 振り飛車

関連リンク

杉本昌隆|棋士データベース|日本将棋連盟

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