概要(基本プロフィール)
基本プロフィール
妻の柴崎順子は元女流育成会(かつての女流棋士養成機関、現在は廃止)の会員で、シャンチー(中国将棋)の全日本チャンピオンおよび世界選手権代表を務めたことがある。
棋歴
年度 | 棋歴 |
---|---|
1983年度 | 小学6年生で第8回小学生将棋名人戦に出場、3位入賞を果たす。 |
1985年度 | 五十嵐九段門下として、6級で奨励会に入会。 |
1988年度 | 10月1日、四段昇段(プロ入り)。奨励会在籍期間は2年10ヶ月であり、これは羽生善治九段や谷川浩司九段、故・村山聖九段よりも短かった。 |
1989年度 | 第55期棋聖戦挑戦者決定戦で高橋道雄八段を破り、僅か17歳10か月で初タイトル挑戦を決める。中原誠棋聖との番勝負は2勝3敗で敗退。 |
1990年度 | 第56期棋聖戦挑戦者決定戦で塚田泰明八段を破り、2年連続で挑戦権獲得。中原棋聖を2連敗から3連勝で破って奪取。18歳6か月で初のタイトルを獲得した。前年度に羽生善治が更新したばかりの史上最年少タイトル獲得の記録を1年足らずで塗り替える結果となった(2020年に藤井聡太によって塗り替えられる)。続く第57期棋聖戦では、挑戦者に森下卓六段を挑戦者に迎える。番勝負を3勝1敗を制し、史上最年少でタイトル防衛を果たした。 |
1991年度 | 第58期棋聖戦で挑戦者の南芳一王将に2勝3敗で敗れ、棋聖位を失冠。史上最年少のタイトル失冠記録となった。第13回オールスター勝ち抜き戦で棋戦優勝(10連勝)。 |
1995年度 | 第14回全日本プロトーナメント決勝五番勝負で藤井猛六段を3連勝で破り、棋戦優勝。 |
1996年度 | 第46回NHK杯戦で、森内俊之八段に敗れ準優勝。 |
1997年度 | 第68期棋聖戦挑戦者決定戦で郷田真隆六段を破り、挑戦権獲得。三浦弘行棋聖との番勝負を3勝1敗で制して奪取。3度目の棋聖位獲得となった。タイトル3期獲得のため、八段昇段後次の年に九段昇段の権利が与えられた。(当時は飛び付け昇段が認められていなかった。屋敷はこの時点でC級1組七段だったため、まず八段に昇段する必要があった) |
1998年度 | 第69期棋聖戦では挑戦者の郷田七段に3連敗で敗れ、棋聖位を失冠。 |
2001年度 | 第35回早指し将棋選手権で決勝進出するが、丸山忠久選手権者に敗れ準優勝。第42期王位戦挑戦者決定リーグで白組優勝。挑戦者決定戦で森内八段に勝ち、挑戦権獲得。羽生王位との番勝負は4連敗で敗退。 |
2002年度 | 5月、勝数規定により八段昇段。結果的に順位戦B級2組を経験しないまま八段に昇段したのは史上初であった。翌々年度の2004年4月1日付で自動的に九段へ昇段。 |
2009年度 | 7月10日、通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。 |
2010年度 | 第69期B級1組順位戦で8勝4敗(2位)の成績で、初のA級昇級を決める。初タイトル獲得から20年でのA級昇級となった(屋敷の順位戦での悲劇は後述)。 |
2013年度 | 第72期A級順位戦で3勝6敗の成績となりB級1組へ降級。 |
2014年度 | 第73期B級1組順位戦で8勝4敗(2位)の成績を収め、1期でのA級復帰を果たす。4月には、第3回将棋電王戦に出場。第5局で初代電王のponanzaと対局、130手で敗れた。 |
2018年度 | 第76期A級順位戦で2勝8敗の成績となり、B級1組へ降級となった。 |
2021年度 | 第71期王将戦一次予選で阿久津主税八段に勝ち、23人目となる公式戦通算800勝(将棋栄誉敢闘賞)を達成した。 |
2023年度 | 第82期B級1組順位戦で5勝7敗となり、B級2組へ降級となった。 |
棋戦優勝履歴
八大タイトル戦(登場予定も含む)
棋戦名 | 獲得数(年度) | 登場回数(年度) | 備考 |
---|---|---|---|
竜王 | - | - | |
名人 | - | - | |
叡王 | - | - | |
王位 | - | 1回(2001年度) | |
王座 | - | - | |
棋王 | - | - | |
王将 | - | - | |
棋聖 | 3期(1990年前期・1990年後期・1997年度) | 6回(1989年度後期~1991年度前期・1997年度・1998年) |
計3期(登場7回)
将棋界の七不思議(屋敷、C級1組での足踏み)
1989年度、順位戦デビューとなる第48期C級2組順位戦では、9勝1敗1位の成績を収め、1期抜けでC級1組に昇級する。
しかし、初のC級1組在籍となる1990年度の第49期C級1組順位戦からB級2組への昇級を決めた2003年度の第62期C級1組順位戦まで14年間もC級1組で足踏みしてしまった。その間の順位戦成績は、通算100勝40敗であり次点を4回も記録している。
2007年度、第66期B級2組順位戦において7勝3敗2位の成績となり、B級1組へ昇級。
そして先述のとおり、2010年度にA級昇級を果たした。
このように、タイトル経験者でありながらもC級1組からB級2組へなかなか上がれなかったことから、「将棋界の七不思議」の一つとまで言われた。
エピソード
居飛車、振り飛車ともに指しこなすオールラウンドプレーヤーである。
若手時代に変幻自在な指し回しから「忍者屋敷」*「お化け屋敷」との異名を付けられた。
競艇の大ファンであり、「将棋の勉強はほとんどしないで競艇ばかりやっている」と自称していた。
そのため研究家として知られる三浦棋聖との棋聖戦では、「1日の勉強時間12時間対1分」などと取り上げられたこともあるが、現在は勉強していることを認めている上、三浦とは熱心な研究仲間であることが将棋連盟ライブでの解説コメントやNHK杯テレビ将棋トーナメントでの解説などで度々紹介されている。
元々はかなりの酒豪で、若い頃は「日本酒7合ぐらいなら15分」で空けるほどの飲みっぷりだったという。ただ2010年に「将棋のため・健康のため」という理由で飲酒を止めたとのこと。