経歴
ポジションは外野手、右投右打。
「母方の祖父は中国残留孤児」という家庭に生まれ、また父が中華人民共和国籍というハーフ。中国出身の両親が日本に移住するようになってから、本人は生まれた。京都府の西城陽高時代に高校通算52本塁打&50m6秒1の足を持つ点が評価されて、2012年のドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受けプロ入りした。
打撃センスが柳田悠岐に近いということで、左打ちの柳田に対して「ミギータ」と呼ばれた。ソフトバンク時代は代走や守備での途中出場が多く、2021年の79試合出場が自己最多。2022年シーズン終了後戦力外となり、プロ野球選手としてのキャリアはここで終了している。
その後社会人野球の日立製作所で野球競技生活を続け、2024年勇退・退社。
2016年U23ワールドカップでは日本代表として優勝に貢献したほか、2023年のWBCでは中国代表(※WBCの規定では父親が中国籍であることから中国代表資格を満たしていた)として3番打者で出場していた。