概要
東方Projectに登場する地底世界でみられる現象。
『東方茨歌仙』作中で描かれた範囲においては旧地獄において発生している。
「桜」の咲く地上世界と物理的にその下方向(地下)にある地底世界との関係性ならではの現象である。
「地底の桜吹雪」
茨木華扇の感じるところによれば、旧地獄は「 時を進める事を諦めた世界 」である。
しかし旧地獄にも閉ざされた上空方向から(冬の雪などとは別に)桜吹雪のようなきらめきが一斉に舞い降りることがあり、これが「石桜」である。「桜」とあるが、降り注ぐのは植物の花びらではなく鉱物の欠片であり、「石桜」の言葉の由来はここにある。
火焔猫燐(お燐)の語るところによれば石桜にはその年ごとに発生量の違いがある他、地底世界では「 石花見 」が行われることもある。
作中では地底世界の天(天井)方向から数多のガラス欠のような煌めきが旧地獄の広域に降り注ぐ幻想的な光景が描かれている。またイメージ的なものながら舞い降りる石桜の中にキスメや黒谷ヤマメ、水橋パルスィなどと思しき地底世界に住まう面々の姿もみられる。
この光景を見に地底まで足を運んだ霧雨魔理沙曰く、「 思ったより綺麗 」。
桜の下には
石桜となって地底に降り注ぐ際は鉱物片であるが、その由来はもっと別の物質である。
石桜にまつわる実際についてはお燐がとある経緯から地下ともつながる間欠泉センターを調査していた博麗霊夢や魔理沙、東風谷早苗や華扇などに語っている。
この際にお燐が語る「桜の下」にあるものについては霊夢が疑問を傾けてもいるが、石桜に至る現象やそもそもの死体のスペシャリストであるお燐の言うことなので、作中ではあるいは真実なのかもしれない。
石桜とは、「 純化 」された魂である。
美しい桜の花を咲かせるのためにその根元に埋められた死体が朽ちた後、残された魂が徐々に地下へと沈み、純化され、結晶化する。やがて地下の天井へと到達し、その破片がしずかに旧地獄へと降り注ぐのである。
この様子を語る際のお燐の口調には、そのプロセスの静寂性と石桜へと至るいわば結晶性のような雰囲気が如実に表れている。
作中のタイミングではこの結晶の一部が『東方地霊殿』の契機ともなった地底からの間欠泉と思われるものとともに地上へと飛び出しており、地底からのものとは知らずとも、これに触れた霊夢はこの結晶に強い「 妖気 」を感じ取っている。霊夢が結晶に対してお祓い(御札)を行うと、結晶が勢いよく自壊(破砕)し、中から魂が現れて昇天していった。
霊夢らが見つけた結晶は、霊夢によれば「 毒々しい紫色 」。
地底の事情と石桜
石桜は「 純粋な魂の結晶 」であり、怨霊などがこれを好物としている。
本来石桜は地底にたむろする怨霊が好んで摂取し、「 掃除 」されるのであるが、近年続いていた怨霊騒動のために地底の主である古明地さとりが怨霊や悪霊の類の存在に対して「 娯楽禁止令 」を発令していた。
ここにその年の石桜の発生量の多さが重なったことで通例のような石桜の消費がなされず、一部が地上へと影響したことで先述の様に霊夢らが別の経緯(間欠泉センター周辺での鳥の不審死の頻発)として感知するところとなった(早苗は間欠泉センターを管理する守矢神社の活動として霊夢とは別にここに足を運んでいる)。
ここで霊夢らは一部の怨霊の上申を受けて事情を理解したさとりの命によって地上へと結晶を回収に訪れていたお燐と出会ったのである。
このころの地底は「 満開 」となった石桜の「花吹雪」に満たされていた。
その後
お燐によって石桜の正体と地底事情の話を聞いた後、華扇が一人地底を訪れている。
華扇はこの地の空気感含め否定的な感想を抱き、掌に舞い降りた石桜をめがけて寄ってきた怨霊もあって強い不快感を感じていた。
そんな折に石桜の舞い降りる地底の空を飛ぶ魔理沙も見つけ、華扇は驚くこととなる。
魔理沙を捕まえてともに石桜の降る旧地獄の光景を見るのだが、華扇の地底への嫌悪感をよそに魔理沙は『地霊殿』での直接の出会いもあってか地手の主としてのさとりを恐れることもなく、魂の成れの果てである目の前の石桜を先述のように「 綺麗 」とも語る。
これに華扇はわざとらしく地底への不快感を示した後、石桜の降る様子を「 邪悪な色彩 」と語り、半ば強引に魔理沙を連れて地底を後にする。
「地獄の桜」
上記の石桜、「地底の桜」と同種のものかは厳密な描写や記述はないものの、地獄の妖精であるクラウンピースもまた「 ただのピンク色の石 」だという見た目の「 地獄の桜 」について語っている(『東方三月精』)。さらに伝え聞いたところとして地獄の桜は「 純化した魂の結晶 」としており、これは先の石桜の特徴とも一致する。
ただしクラウンピースは自身が見た地獄の桜は「 美しくなかった 」としており、これと対比して後に地上で見た命の開花である植物の桜に深く満足している。
クラウンピースもまた生命の象徴である妖精であり、クラウンピースが見たものが石桜であったとするならば、命も抜け落ちて妖気の塊となったそれは気性に合わなかったようである。
クラウンピースは桜が満開となった春の幻想郷を眺め、「 こんなに生命力溢れる世界は 地獄にも月面にも無かった 」とし、地獄と月と地上の違い、さらには自らの存在の根源性にも問いを巡らせている。
「 なんであたいは地上に生まれなかったんだろう 」(クラウンピース、『三月精』)