概要
藤原北家出身の武家を称する宇都宮氏の一族で、宇都宮氏5代当主・頼綱の子・泰業が上総周准郡秋元荘を領したことから始まる。
記録上はじめて登場するのは景朝で、1541(天文10)年に秋元荘を去って武蔵の深谷上杉家に仕えた。子の長朝も引き続き仕え、1590(天正18)年に始まった豊臣秀吉の小田原攻めに際しても深谷上杉家の本城・深谷城を守備したが衆寡敵せず開城。戦後に深谷上杉家が没落したため新たな関東の支配者となった徳川家康に仕え4千石を与えられた。
関ヶ原の戦いでは対上杉の外交に当たり、戦後その功を認められ6千石加増により上野総社(群馬県前橋市)1万石を領する大名となった。
その後3回の移封を経て上野館林(群馬県館林市)6万石で明治維新を迎え、華族令施行後に子爵に叙爵された。