ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

中国三国時代蜀漢の政治家。諸葛亮費禕蒋琬とともに蜀漢を支える「四相」あるいは「四英」と称された。


プロフィール編集

生没年:?〜246年

字:休昭

出身地:荊州南郡枝江県

父:董和


概要編集

生涯編集

一族は父・董和の代に益州へ移住している。董和は劉璋に取り立てられ益州太守も務めたが、のち劉備に仕えた。

董允は劉備が曹丕に対抗して蜀漢の皇帝に即位し劉禅を皇太子に立てた際、その側近として抜擢された。その後、夷陵の戦いを経て劉備が死去し、劉禅が即位すると黄門侍郎に任じられた。


諸葛亮は北伐を企図した際、費禕を北伐に参軍させ、董允には宮中の事柄を任せることになった。

董允はよく劉禅を諫言することが多かったため、劉禅は董允を憚るようになった。

宦官の黄皓が劉禅から寵愛を受けるようになったが、董允から厳しく諌められている。このため、董允存命中において黄皓は黄門丞の地位に留まり、悪事を働くことはできなかった。


蒋琬と同じ246年に死去した。


人物編集

  • 死後、黄皓に讒言され劉禅に疎まれたという。董允の没後、劉禅を諫め黄皓の専横を防ぐ人物は現れず、後に黄皓は政治を壟断して国を滅ぼすに至ってしまう。
  • 父・董和は董允と費禕のどちらが優れているか測りかねていたが、許靖の子の葬儀の際に二人を試して費禕の方が優れていると思ったと言う。
  • 尚書令だった費禕が蒋琬の後任として大将軍になったため、後任の尚書令になった。董允は費禕の仕事ぶりを真似るもたちまち滞り費禕の事務処理能力の高さを慨嘆したとされる。

関連タグ編集

三国志 蜀漢

諸葛亮 費禕 蒋琬

劉禅 黄皓

関連記事

親記事

蜀漢 しょくかん

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 239

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました