概要
経歴
天平10年(740年)に従五位下、後に中務少輔、従四位下に進み、天平勝宝元年(749年)に参議となる。翌年の天平勝宝2年(750年)に遣唐大使に任命され天平勝宝4年(752年)に唐に渡った。唐に渡った翌年の天平勝宝5年(753年)に朝賀の儀に出席した。同年に帰国となり阿倍仲麻呂と共に乗船するが嵐に巻き込まれベトナムに漂着した。後に唐に戻るが朝廷が使を派遣して帰国を求めるが安史の乱によって帰国できず最終的に唐で客死した。
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