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足利義勝

あしかがよしかつ

足利義勝とは、室町幕府の第7代征夷大将軍。横死した父・義教の跡を継ぎ幼くして将軍職に就くも、わずか1年足らずのうちに夭逝した。(1434年-1443年)
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概要編集

生没:永享6年2月9日(1434年3月19日)-嘉吉3年7月21日(1443年8月16日)

別名:千也茶丸(幼名)

官位:従四位下、左近衛中将、征夷大将軍

父母:足利義教(父、室町幕府6代将軍)、日野重子(母)

兄弟:足利義政義視政知


概要編集

室町幕府第7代将軍として知られる人物であるが、後述の通り1年足らずという在任期間であったことから、父や弟とは異なり将軍としての業績らしい業績も殆ど残せないままとなった。

満年齢で10歳に満たぬうちに夭逝したこともあり、将軍としての帝王学を身に着け、利発な少年であったとの記録も残されているとはいえ、他の将軍たちに比べるとその人物像や資質についても推し量れるだけの材料に乏しい、というのが実情である。


数少ない逸話として、赤痢で他界する前に義勝が描いたとされる、達磨大師の絵図が京都東山の建仁寺に保存されている。この絵は家臣・千秋持季に贈られたものだとされ、義勝の死後、持季はこの絵を見るたびに追慕の情に堪えなかったとも伝わっている。


生涯編集

室町幕府第6代征夷大将軍足利義教の長子として生を受ける。生母の日野重子が側室であったことから、千也茶丸は継室の正親町三条尹子の猶子とする形で義教の世子として認められ、伊勢貞国(政所執事)の屋敷にて養育を受けた。室町第(足利将軍家の邸宅、花の御所とも)に入ったのが父の死の直後であるため、義勝はその生涯の大半を伊勢邸にて過ごしたこととなる。

千也茶丸が8歳となった嘉吉元年(1441年)、幕府重臣・赤松満祐の供応を受けていた父・義教が、その満祐らによって殺害されるという事件が発生する(嘉吉の変)。現職の将軍が討たれるという、室町幕府始まってから前代未聞のこの事態を前に、千也茶丸は直ちに室町第へと移され、時の管領であった細川持之細川勝元の父)らを始めとする諸大名によって将軍後継者に擁立されることとなった。

そして翌嘉吉2年(1442年)11月7日、千也茶丸は元服して後花園天皇から「義勝」の名を賜り、同時に将軍宣下を受け室町幕府第7代将軍に就任した。時に義勝9歳、室町幕府が開かれてから最年少となる征夷大将軍の誕生である。


さてこの間、義勝が将軍職を継ぐきっかけとなった嘉吉の変は、赤松満祐ら一族の討滅という形で幕引きを見たが、一方では同時期に京都で大規模な土一揆が発生し、その収拾を巡って重臣間で対立が生じるなど、幕府内における足並みの揃わなさや求心力の低下を大いに露呈する格好となっていた。

さらに、変の終息後に細川持之が病を得て管領職を辞任し、その後任に畠山持国(徳本、畠山義就の父)が就任すると、義教在世時に冷遇されていた持国は、自分と同様に義教によって失脚の憂き目に遭った者たちを復権させる動きに出ているが、これは同時に自身の勢力拡大を企図したものでもあり、これを阻もうとする細川氏が逆に義教に取り立てられた側を支援したために、後の応仁・文明の乱の遠因ともなった各大名家の御家騒動が方々で激化することとなる。

こうした混迷を極める情勢の中にあって、将軍とはいえ未だ幼年の義勝にできることは殆どないと言ってもよく、この時期の幕政は前出の細川持之や畠山持国といった諸大名、それに生母である日野重子が実権を掌握・主導する状態にあった。そして不幸なことに、義勝に幕政を自ら主導する機会は終ぞ巡ることはなかったのである。嘉吉3年(1443年)7月21日、将軍就任からまだ8ヶ月であった義勝は室町第にて他界。享年10(満9歳)。その急すぎる死ゆえに死因については諸説あるが、現在では赤痢による病死であろうという見解が有力視されている。


義勝の死後、その後継者には同母弟の三春が選ばれ、室町幕府第8代将軍・足利義政が誕生することとなるのだが、このように2代続けて将軍が幼少であるという状態は、必然的に幕政における将軍の権威や影響力の低下にも繋がっていくこととなった。


関連タグ編集

室町時代 室町幕府

足利義教 足利義政


徳川家継江戸幕府の将軍の一人。義勝と同様に7代目の将軍であると同時に、幼くして将軍職に就き、そして夭逝したという点で共通項が見られる

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