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難波宏明

なんばひろあき

難波宏明は、岡山県出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。
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概要

1982年12月9日生まれ。


岡山県立笠岡工業高校卒業後、2001年にJリーグ1部(J1)のヴィッセル神戸に入団するが、1年で戦力外とされた。

2002年は日本フットボールリーグ(JFL)の栃木SCに所属し、出場機会を得たが、難波は進学を希望して栃木を退団し、関東大学サッカー連盟に所属する流通経済大学に入学。2006年の関東大学リーグ1部での同校初優勝に貢献し、MVPを受賞した。

また、JFLにも参加している同大学の選手として2005年と2006年の2シーズンにわたりJFLに出場した他、2006年にはJリーグ公式戦にも出場できる特別指定選手として当時Jリーグ2部(J2)の横浜FCに登録された。9月27日のベガルタ仙台とのゲームでは後半35分に出場し、難波にとって神戸入団から6シーズン目でのJリーグデビュー戦となった。同試合の後半38分にはJリーグ初ゴールも記録した。

2007年にはJ1に昇格した横浜FCに正式加入し、再びプロ選手となった。横浜FCは1シーズンでJ1から降格し、その後はJ2でのプレーが続いているが、難波は2007年と2009年にチーム内得点王、2008年も2位タイと、横浜FCの中では安定した成績を残すFWとして起用され続けた。

2013年、水戸ホーリーホックへ期限付き移籍。

2014年、横浜、水戸ともに契約満了となり、FC岐阜に完全移籍。同年5月3日に旧国立競技場で行われたJ2第11節東京ヴェルディ戦で決勝ゴールを挙げ、これが同競技場におけるサッカー公式戦の、閉場前最後のゴールとなった。この年は31歳にして自己最多となる12得点を記録した。

2015年には第7節東京V戦では前半27分にハットトリックを達成しJリーグ最速記録を更新。この年も12得点を挙げる。

2016年は3得点に留まったが、2017年はジョーカーとしての起用が増え9得点と復活した。

2018年11月22日、2018シーズン限りでの現役引退を発表した。

2019年1月、FC岐阜クラブアンバサダーに就任した。

2019年4月、岐阜聖徳学園大学サッカー部の監督に就任した。


人物・エピソード

2016年12月20日に、吉本興業とマネジメント契約を締結。

2020年、岐阜大学大学院教育学研究科に進学。長期履修により、2024年3月に修士課程を修了している。

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