概要
全集中の呼吸を一定以上極めた結果、『心拍数が二百を超える』『体温が三十九度以上になる』という一定の条件を満たす事で、身体に鬼の紋様に似た『痣』が発現した者達の総称。
遊郭編での妓夫太郎戦において炭治郎が最初に発現させ、続いて刀鍛冶の里での戦いで無一郎と蜜璃が発現させたのを契機に、柱合会議にて柱達の知る所となった。
痣が発現した者は身体能力が飛躍的に上がり、鬼から受けたダメージが通常では考えられない速さで回復する。これにより、上弦の鬼のような強力な鬼とも戦えるようになる。
産屋敷家には、『痣の者が一人現れると、共鳴するように周りの者達にも痣が現れる』という記述も残されており、産屋敷あまね曰く、鬼舞辻無惨を後一歩の所まで追い詰めた始まりの呼吸の剣士達全員が発現していたらしい。しかし、始まりの呼吸の剣士以降は、炭治郎に発現するまでは柱達ですら誰も発現していなかった。そもそも最初に痣を持って生まれた剣士の事も考えると、痣の発現を可能にする為の最初の呼び水として、日の呼吸の剣士の痣の発現が必要である模様。
そして、その上で痣の発現には上記の二つの条件を必ず満たす必要があり、作中でも痣が発現しているのは炭治郎を含む数名のみであるなど、痣の発現には全集中の呼吸以上の本人の才能と、さらにその全集中の呼吸を一定以上極めた状態が必要とされる(少なくとも常中は必須)。
しかしながら、上記のような発現条件である為に柱レベルですら発現は容易ではなく、作中の炭治郎を初めとした痣を出した柱達は、いずれも上弦の鬼などの格上の相手との極限状態の中で発現に至っている(唯一悲鳴嶼だけは、黒死牟戦の前段階で既に発現可能な状態になっていた)。
ちなみに黒死牟の髪と刀の刃先を喰らう事で、不死川玄弥にも黒死牟と同じ形状の痣が出ていたのだが、これは黒死牟の肉を大量に取り込んだ結果、あくまで外見も鬼の黒死牟に近づいたというだけに過ないので、彼が痣者になった訳ではない(痣は鬼の力とは関係ないので、黒死牟の肉を喰らう事で手に入るものではない)。
竈門炭十郎の額にも、炭治郎が痣発現以前に額についていたものと類似の薄い痣が生まれつきあったのだが、これがここで言う痣なのかどうか、炭十郎が痣者だったのかは不明。
痣の代償
黒死牟曰く、「痣の力」は「寿命の前借り」であるらしく、「痣者は例外なく二十五歳を待たずに死ぬ」と岩柱・悲鳴嶼行冥との戦闘に際して惜しんだが、当の悲鳴嶼は最初からその事を知っており「人として戦い死ぬ」覚悟を決めていた事と、「例外なく」の部分は嘘である旨を見抜いた為に、この発言を一蹴した。ただし、黒死牟が知る例外とはあくまで「最初にこの世に痣を持って生まれた例外中の例外」の事であり、それ以外の者で例外がいたのかどうかは不明である。
尤も、まともな医療のなかった戦国時代の事なので正確な死因等は正確には不明。
なお、400年前にこの代償により隊士達が激減し、黒死牟らの「日の呼吸狩り」もあって鬼殺隊は一時壊滅の危機に瀕した事が、単行本21巻の「戦国コソコソ話」にて書かれている。
これらの事が原因で、痣に関する情報は失伝して殆ど残されておらず、また痣が発現せずに思い詰める人間も過去には少なくなかった事や、上記の痣の代償の事などからも、大正時代の鬼殺隊では産屋敷一族を初めとする一部の人物を除いて、痣については公にはされていなかった。
そしてその産屋敷一族にすら、痣の発現方法などの詳細は残されていなかったのである。
作中で痣が発現した人間
戦国時代に発現した痣
継国縁壱(耳飾りの剣士)
使用する呼吸:日の呼吸
額の左側から側頭部にかけて発現し、炎のような形を成す。始まりの呼吸の剣士・継国縁壱は史上初めて痣を発現した人物であり、唯一無二の例外として生まれつきこの痣が発現していた。さらに痣を持っていたにもかかわらず八十歳の老人になるまで生きている。
黒死牟(継国巌勝)
使用する呼吸:月の呼吸
日の呼吸の痣に似ているが、左側頭部だけでなく首から顎にかけての痣も同時に発現する。
大正時代に発現した痣
竈門炭治郎
使用する呼吸:ヒノカミ神楽
日の呼吸の痣に似た痣が額の左側から側頭部を覆う。妓夫太郎戦で発現。元々彼が額に持っていた痣はあくまで後天的にできた傷に過ぎなかったのだが、戦闘中に上記の条件を突破した事で、その痣が変化して発現した。作中で唯一、痣の大きさや数が変化する描写がある。
冨岡義勇
使用する呼吸:水の呼吸
左の頬の広範囲を覆う形で発現し、流れ渦巻く水のような形を成す。猗窩座戦で発現。
甘露寺蜜璃
使用する呼吸:恋の呼吸
左の首に発現し、ハートマークと木の葉を2枚ずつ重ねたような形を成す。半天狗戦で発現。
悲鳴嶼行冥
使用する呼吸:岩の呼吸
両腕の前腕部に発現し、岩のひび割れのような形を成す。発現したのは黒死牟戦だが、本人の言動からするに黒死牟戦の前の時点で既にいつでも発現可能な状態になっていた模様。
不死川実弥
使用する呼吸:風の呼吸
右の頬に発現し、風車のような形を成す。黒死牟戦で発現。
時透無一郎
使用する呼吸:霞の呼吸
両の頬と額の左に発現し、霞のような形を成す。玉壺戦で発現。
伊黒小芭内
使用する呼吸:蛇の呼吸
左胸から左腕全体に発現し、蛇とも渦巻く水ともとれる形を成す。ちなみに派生の呼吸としては珍しく源流の呼吸にも類似した形状の痣となっている。無惨戦で発現。
その後
以下ネタバレ注意
岩柱の悲鳴嶼は既に二十七歳を迎えていた為に、黒死牟の宣告通りに最終決戦後におそらく痣の代償で息を引き取っている。
それ以外の生き残った痣者である炭治郎、義勇、実弥のその後については定かではないが、公式ファンブック弐の後日談で、炭治郎は自らの寿命が短い事を示唆する発言をしており、少なくとも彼自身は己の死期を悟っていた模様。また、現代編で登場したカナタと炭彦が、炭治郎とカナヲの玄孫である事が明かされている為、年齢から計算しても2人が若くして子を成し、そして若くして世を去った可能性がある。
(善逸の子孫の善照と燈子、伊之助の子孫の青葉らはいずれも曾孫であり、善照達が曾祖父である善逸と面識があったのに対して、炭彦達は炭治郎とカナヲの事を知らなかった)。
尤も当時の兄弟姉妹間の年齢差、寿命のバラツキ具合いからすると痣による早世が原因するには根拠に乏しい。