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概要

豫州潁川郡の人。


冀州牧で、朝廷を牛耳る董卓の専横に抵抗し、挙兵した諸侯の一人。だが、臆病な性格で、その性格がのちに自身の破滅へと繋がる。


元々は袁紹などを輩出した名門の袁氏に仕えた役人であったが、実権を掌握した董卓に冀州牧に任じられ、彼の意向を忖度して従事を数人使い、袁紹を監視した。

だが、橋瑁が三公の公文書を偽造し、董卓に対する挙兵を呼びかける檄文を作り、諸侯達に送って決起を促すと、諸侯達と董卓のどちらに付くか迷ったが、諸侯達に組して挙兵に応じて参加した。だが、董卓軍に強力さに積極的に戦いに加わらなかった。


その後、袁紹と共に皇族で幽州牧の劉虞を擁立しようと計画したが、曹操らに反対された上に、劉虞本人からもこれを固辞されたため失敗した。


また、韓馥は冀州を狙う公孫瓚の脅威にさらされるようになり、袁紹も補給を韓馥に依存していたため、逢紀がこれを機に公孫瓚を利用して冀州を奪い取ることを袁紹に提案し、袁紹はそれを容れて公孫瓚と連絡を取り、韓馥に軍事的な圧力をかけ、韓馥の配下も次々と自らの陣営に迎え入れた。そして、使者を送って韓馥に冀州を譲るよう説得させると、韓馥はあっさりとこの提案を受け入れる気になり、耿武ら臣下達の反対を聞き入れずに袁紹に冀州を譲ってしまった。なお、耿武達は袁紹暗殺に動いていたが、田豊に阻止されて失敗した。


その後、袁紹の下を去って陳留太守の張邈の下に身を寄せたが、ある時に張邈と袁紹の使者が会見している時、袁紹の使者が張邈に耳打ちするのを見た韓馥は、殺されるのではと勘違いし自殺してしまった。


三国志演義

演義でも反董卓連合の一員として登場。架空の配下に潘鳳(はん ぽう)という大斧使いの猛将がおり、華雄軍が怒涛の勢いで本陣に迫る中、韓馥は華雄打倒に潘鳳を挙げて彼を呼び寄せて華雄を討ちに向かわせたが、潘鳳は敢え無く華雄に討ち取られた。


その後、袁紹が冀州を狙うと、公孫瓚に「韓馥が董卓にすり寄ろうとしているから、共に討とう」という手紙を、韓馥に「公孫瓚が冀州を狙っているため、力になる」という手紙をそれぞれ送り、韓馥はそれを信じて袁紹を迎え入れようとした。袁紹の狙いは冀州を乗っ取ることだと見抜いた耿武・関純(正史では閔純)は反対するも、韓馥はそれを無視して袁紹を迎え入れた結果、冀州の実権を奪われてしまい、耿武達の言うとおりだったと悔やむが後の祭りで、その後は張邈の下に逃げ込むところで物語から姿を消している。ちなみに、耿武と関純は冀州を訪れた袁紹を暗殺すべく襲撃したが、顔良文醜に阻まれて殺される。


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三国志 袁紹

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