概要
早苗が『東方鈴奈庵』に登場した際のもの。
「テウルギスト」とは「降霊術者」を意味する「 theurgist 」か。
「降霊術」は一般に何かの「霊」を呼び寄せて自分や何かの媒体などに降ろし、様々な魔術的な行為を行うものであるが、早苗の場合は祭神である八坂神奈子や洩矢諏訪子の二柱の力を借り受ける事の出来る巫女的存在でもある。
降霊術としての性質もさることながら、早苗のその姿は「神降ろし」ともいえるものだろう。
作中では博麗霊夢がしきりに活動範囲、営業内容がかぶることを悔しがったりしており、巫女としての位置づけも神降ろしを行うことも霊夢に共通する点であることもあって二人の交流には何かと共通点の多い二人ならではの味があるものとなっている。
早苗の宗教活動
『鈴奈庵』では、守矢神社の巫女として人間の里で布教活動を行う早苗の様子が描かれている。
人間の里では例年秋から冬にかけて冬眠準備をする「蛇」による食料などへの被害が報告されるが、この年もまた蛇の被害が出始めていた。
ここにあって霊夢は蛇を祀る守矢神社にいつものように疑いをかけ、早苗を博麗神社に呼び出して問い詰める。早苗はそんな行動をすれば守矢神社の信頼にも関わるとしてこれを否定し、霊夢も同席した霧雨魔理沙もこれに納得する。
後日早苗は通りに立つ布教活動において、蛇による害が出ていることも理解しつつ蛇の神聖さを説いて無為な殺生を控えるよう説く。天然自然の恩恵と猛威の様の並存を蛇を通して語り、そして神秘性で人々の心をつかんだところで布教活動に入っていく手慣れた様子を見せている。
この一連の流れには早苗の演説を見ていた霊夢も「 同業者 」としてやきもきしたり一本取られたと頭を抱えたりしている。早苗と霊夢の宗教勢力版図の拡大争いは他作品でも見られているが、本件では分社の建立を実現した早苗の守矢神社に分があった。
この分社を建立して以降なぜか人間の里で「 食い逃げ 」の被害が無くなっており、早苗はこの分社への人々の祈願と奉納の行いが、人々の心の中に神への畏怖を取り戻させ、そして「 道徳心 」も取り戻したのだろうとして自らの行いを肯定的に評価している。
分社建立前から食い逃げ被害の増加は早苗も知るところであったが、その実際は他の「蛇」によるもので、食い逃げが収まったのは分社建立以後にこれとは別の場面・文脈で二ッ岩マミゾウが問題行動を起こす相手を抑えたことに由来する。
実際には分社の力ではないが、同話中で早苗がこの真相を知ることはない。
この他、後に早苗が霊夢から蛇の被害のその後について問われた際は祈祷ばかりでなく実際の蛇被害が出た時の対処についても準備があったことを語っており、この話を受けた霊夢はまだ見ぬ蛇の脅威に怯えていた本居小鈴に対して、「妖怪蛇なら自分に退治の連絡を、動物の蛇に噛まれたら早苗に連絡を」と、早苗と仕事を分け合わざるを得ない状況に諦観交じりにアドバイスしている。
『鈴奈庵』での早苗
『鈴奈庵』までの他作品での早苗は敬語で話すことが多いが本作では敬語の他により砕けた話し方も多く見られている。例えば霊夢に対しては「 そんなせこい事目的にするわけないじゃん 」と回答し、直後の文脈で「 これは地道な営業活動ですよ 」と続けている。
冗談を言って霊夢につっこまれたりする自然な表情の他、先述のように辻に立って演説し時には観衆からの鋭い意見にも優しく応える凛とした様子も描かれているなど、幻想郷の人々と交流する早苗の姿を見ることが出来る。観衆の女性の一人が抱いた赤ちゃんに壇上から膝を曲げつつ手を振ったりといった様子も描かれている。
魔理沙は以前には「新参はいつまでも新参」(神奈子に対して。『東方求聞口授』)としたが、早苗は早苗で今日の人間の里にも馴染み、人々からも信頼を得ている様子である。
新しい人間関係としては本作では霊夢を通して小鈴と縁を結んでおり、先のように小鈴からの蛇対策への相談にも霊夢とともに応えている。このとき小鈴が恐れた蛇被害の情報は外の世界の書籍を読んだことによるものであるが、近年外の世界からやってきた早苗がどのような想いを抱いたかについては作中では特に描写はない。
その他シーンでは
『鈴奈庵』第四巻設定資料集には早苗の立ち絵とバストアップが描かれており、本編中でもみられるいつもの大幣も手にしている。正面からの明るい表情の他、髪に結んだ蛇の髪飾りに指を寄せる柔らかい表情も見られるものとなっている。
また設定資料集には『鈴奈庵』本編中には登場の無い神奈子と諏訪子も描かれており、特に諏訪子は作中にも登場する早苗が準備した蛇対策のアイテムも手にしている。
第二十二話扉絵には紅葉の舞う中で霊夢を前にふわりと舞う早苗が描かれており、こちらでは単行本でもカラーとなっている。カラーでの登場は『鈴奈庵』第四巻裏表紙でもみられ、こちらでは笑顔で霊夢に寄っていく強気で明るい早苗の表情を見ることが出来る。
なお、「守矢神社」の銘の入った足元の壇とのぼりを背に辻立ちする様子は本作の他には『東方茨歌仙』でも描かれており、『茨歌仙』でも同様に不可思議な現象(『茨歌仙』時は「流星」)に人心が惑うところに「 神の奇跡 」を軸に守矢の教えを説いた。
このとき通りがかりにその様子を目にした魔理沙は(いつもの)「 怪しい宗教勧誘 」と評している。