駒野友一
こまのゆういち
1981年7月25日生まれ。ポジションはディフェンダー(DF)、ミッドフィールダー(MF)。元日本代表。
2000年、サンフレッチェ広島とプロ契約を締結。2001年レギュラー獲得。
2008年、ジュビロ磐田へ移籍。2012年リーグ戦全試合に出場し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。
2016年よりFC東京へ移籍。その後、アビスパ福岡⇒FC今治などを渡り歩く。
年代別代表時代から左右のSBとしてプレー。2004年にはU-23日本代表としてアテネオリンピックに選出されたが、ガーナ戦で左鎖骨を骨折
2006年から2007年にかけてのイビチャ・オシム体制下では、スピードを評価され、左SB及び左WBの一番手として重用されたが、オシム後任の岡田武史監督の下ではDF内田篤人や長友佑都ら若手選手の台頭により、控えに戻った。
2010年開催のFIFAワールドカップでは、大会直前に行われた強化試合コートジボワール戦におけるDF今野泰幸の負傷もあり堅実なプレーでポジションを再奪取。
2010年8月以降のアルベルト・ザッケローニ体制下でも内田・長友の控えが続いたが、2011年10月11日のFIFAワールドカップ3次予選・タジキスタン戦では国際Aマッチ初得点を含む1ゴール2アシストの活躍。
2013年の東アジアカップでは、これまでの貢献度の高さを理由にチームキャプテンを任された。
駒野を語る上で外せないのが2010年W杯のPK戦。
決勝トーナメントのパラグアイ戦。試合は延長戦も引き分けで終わりのPK戦に突入。
念願のベスト8も見えたが、3番手の駒野がシュートを外してしまい、それが原因で敗戦してしまう。
駒野が号泣しながらスタッフに支えられて去っていく姿は印象的で、後に本人もしばらくサッカーを嫌いになったと語る程だった。
PKとの遺恨を残し続けていた駒野だが、2024年に代表で苦楽を共にした松井大輔の引退試合スペシャルマッチでゲスト参加していた吉田沙保里(女子レスリング金メダリスト)がペナルティエリア内で香川真司を(レスリング式)タックルで倒してしまいPKを獲得。これを待っていたと言わんばかりに松井は駒野をキッカーに指名(※)。
駒野はこのPKを綺麗に決め、長きにわたるPKとの因縁に決着をつけた。
※スタンドのモニターには「あれから14年」と2010年にPKを外した後の駒野の姿が映し出されており、駒野のPKはあらかじめ予定されていた。