解説
魔人ブウ誕生時(本来)の姿とされている。原作・アニメ『Z』における実質的なラスボス。
容姿は(悪)のブウが小柄(子供)になった印象。なお、原作では手がミトンのような形状であるが、アニメやゲームでは5本指になっている。
500万年前にはその力を宇宙中で暴れ、それを止めようとした北の界王神と西の界王神を殺害、南の界王神と大界王神を吸収。肥満体の(無邪気)へと姿を変えた。
この時、パワーダウンと引き換えに心と子供のような無邪気さを持つようになり、それまで手を焼いていたビビディはやっとブウを制御出来るようになった。
(悪)の体内でベジータに(善)を引き剥がされると、(南の界王神吸収)を経由してこの姿に戻った。
性格
(善)を剥がそうとしたときに、(悪)のブウが「オレがオレじゃなくなる」と恐れて述べた通り、知性や理性は獣同然のレベルまで低下し、純粋に破壊を楽しむ(というか目につくものをぶち壊して悦に浸る以外の事ができない)だけの生物となった。
言葉は一切喋らず、奇声や鳴き声、雄叫び等を発する。高揚した時にはドラミングも行っていた。
悟空達との最後の全力の戦闘中でも、居眠りしたり、わざとだらだら再生して遊んだりといった、余力の有り余ったふざけた行動を見せている。
他にもボーッとしていたと思いきや唐突に、気の高まりなどの前触れもなく地球を破壊出来るほどの気弾を地球めがけてぶっ放し、阻止された直後に今度は止めてみろと言わんばかりの過剰火力の気弾を地球に放つなど、悟空達が予測できない行動を繰り返していた。
キビト神にはこの形態こそが"もっとも厄介な存在"と評されていた。
実力
パワーこそ孫悟飯吸収形態より大幅にダウンしたものの、気が読み辛い性質が相まって、戦闘する前には悟空らも当初は過小評価しており、「あれなら勝てるかもしれない」と判断していた。
しかし、実際にこの形態のブウと拳を交えると超サイヤ人3と互角以上の力を見せ、アニメではその力を「想像以上」と評価を改めて、これまでのどの形態よりも強いと語っており最強の形態として描かれた。
(悪)のブウ同様、体内に(善)のブウが残っていた時点ではサタンに攻撃しようとすると体にブレーキがかかり彼に攻撃する事が出来なかったが、(善)のブウを吐き出した事で攻撃可能になり、彼を極々弱い攻撃(チョンと触った感じ)でいたぶろうとしていたが、その後笑いながら容赦なく襲いかかっている。
能力も多才で一目見ただけでキビト神の瞬間移動(カイカイ)を修得、悟空のかめはめ波を使いこなし(こちらは無邪気の時にも修得していたのでその記憶の可能性もある)、格闘能力も高く超サイヤ人2に変身したベジータを手玉にとり、アニメではあの世の武道家全員が束になっても圧倒する強さを見せている(特にその中の1人であるオリブーは完全体セル上回るとされている)。
超サイヤ人3の悟空と互角と思われたが、無限の再生能力と無尽蔵の体力は想像を遥かに超える戦闘力で徐々に余裕を見せ始める。さらに終始一貫して遊びながら戦っており、悟空も「ベジットなら楽勝なのに」とポタラを壊した事を後悔していた。
アニメでは悟空を気絶させており実質的に勝利している(これを受けてベジータが選手交代した)。
吐き出した(善)のブウとの戦いでは、ブウ同士ではお互いダメージを受ける(生命力が低下する)ことが明らかになり、(善)のブウは瀕死に追い込まれてしまった。
なお、(悪)から(純粋)に戻る過程において一時的に変身した(南の界王神吸収)ブウの気を探った悟空は「気が大きくなっていねぇか?」と発言したが、この時点で南の界王神は排出されていた描写はない。
アニメではゴテンクスを吸収したブウが超サイヤ人3の悟空を圧倒する中、全ての形態を知ってる界王神や悟空が「どのブウよりも厄介でもっともパワーに溢れている」と発言した。
戦績
悟空戦
超サイヤ人3となった悟空との戦いでは一進一退の攻防を展開。肉体を破壊されても無尽蔵の再生力で悟空を疲弊させ、ベジータに交代させた。
アニメでは最初に超サイヤ人2の悟空と戦い、互いに手の内を探るような戦闘が描かれた。悟空が超3になった際は、無数の小人に分裂して気弾を放つ技で気絶させて勝利する。これを受けてベジータが選手交代するという流れになった。
ベジータ戦
悟空と交代したベジータから気弾の雨をお見舞いされ肉体を破壊され続ける。しかしベジータの背後で肉片を集めることで再生を完了させ、死角から反撃するという奇策で逆転する。
以後は終始ベジータを圧倒して立ち上がれないほど打ちのめすが、復活したブウ(善)から横槍を入れられる。
その後、元気玉完成のため時間稼ぎをするで戦うが、ベジータは生き返ったばかりで気が十分ではなく、本来の実力を発揮できない状態だった。
アニメではどれだけ打ちのめしても立ち上がって来るベジータに恐怖するシーンが追加されている。
ブウ(善)戦
能力自体は同等だが実力そのものは純粋に分があり、一貫して善を圧倒する。描写を見た限り善は復活時同等の戦闘力は持っていた様子であり、それを圧倒していた事からも純粋実力の高さが伺える。
ブウ同士ではダメージを受けるため善は再生する余力がなくなり、一方的に打ちのめして瀕死状態に追い込んだ。
最期
界王神界で超サイヤ人3の悟空と互角以上の強さを見せ、無限の再生能力を持つブウとエネルギー消費が激しい超サイヤ人3は相性が悪く、ブウを倒せるだけのエネルギーを貯めているうちに悟空は超サイヤ人3から元の姿に戻ってしまった。
疲弊した悟空を見たベジータは地球人全員の全力の元気を集めた超元気玉を提案し、悟空はサタンや善の力も借り元気玉を完成させ純粋ヘ放とうとする。しかし近くでベジータが倒れていたため手が止まってしまう。
だがサタンがベジータを救出したことでついに元気玉が放たれる。
アニメでは元気玉の存在に気づいた純粋がベジータを足蹴にする形で人質に取っている。しかし最後の力を振り絞った善の特攻によりベジータから離されてしまい、その間にサタンがベジータを救出した(直後に怒った純粋は善を気弾攻撃で遠くまで弾き飛ばした。これにより結果的に元気玉の射程から外れることとなった)。
しかし悟空に体力がなかったため元気玉を受け止め、少しずつ押し返す程に粘っている。アニメでは実際に押し返すことに成功しており、悟空を倒す一歩手前まで追い詰めた。
しかしポルンガの願いによって悟空は体力を全回復。超サイヤ人になった悟空から元気玉を押し返され今度こそ完全消滅した。
消滅間際には悟空から「生まれ変わったら1対1で勝負してぇ…オラもっと腕あげて待ってるからな…」と約束され、その言葉通り死後は閻魔大王の計らいで同年に地球人「**ウーブ**」に生まれ変わった。
アニメ版では悟空の台詞が少し長くなっており、今までのブウとの戦いを回想する形となっている。また最期を悟ったのかブウは悲鳴を上げ始め、生まれて初めて“死の恐怖”という感情を味わわされた。
余談
最終戦の推移と対応について
ネット上で多数の議論が挙がりやすい物について表記。以下は考察の範疇にある「こういった手段もあったのでは」という検証と議論であって、厳密に真相を求めるものではない事に留意。
最後の元気玉は「悟飯一人の気で充分なのでは?」という意見が多く散見されるが、これに関しては考察界隈では「ベジータが生き返った時も、傷と服が全快しているだけで体力は戻らなかった為、悟飯も体力を消耗しているのでは」という反証がある。
他には原作で悟空の言う通り「悟飯やゴテンクスに戦ってもらう」案が存在し(こちらは彼らの体力も全快してる事が前提となる)、これは元気玉生成前のキビト神の助力があれば実現可能だと言えるが、調子に乗りやすいゴテンクスや、まだブランクがある悟飯達が倒しきれずに吸収される可能性もあるという意見が存在する。
また、ブウを消滅させた様に見えても細胞一つ残っていればそれだけで再生する可能性もあったので、それすら消し去る膨大な気の特大元気玉が適していたのでは、という説もある。
しかしやはり作中で明言されたベジータの「地球人に責任を取らせる」(この場合は"義務"であるとも言える)という考えが最も明快で、最終的にベジータの判断は正しかったのかも知れない。
元気玉を放った後消耗した悟空を、キビト神のカイカイで移動させて貰ったデンデが回復させる案が、作中で挙がった際、キビト神も消耗していた事でこの案は却下された。この時に「キビト神の体力をデンデが回復させればよいのでは?」という意見がある。
しかし二人の内どちらかが辿り着いたとして、膠着状態となった悟空や動けないベジータ達ではデンデ達をサポート出来ない状況なので、フリーザの時のようにブウに狙われるリスクが存在するという反証もある。それ故「ポルンガに叶えて貰う」方で正解だったという意見もある。
またバビディやダーブラ曰く「ブウの復活には使えない」気を持つ界王神の体力を、デンデの力で回復出来るかが不明(後年の『超』では神々には「神力」と呼ばれる独自のエネルギーを持っている事が明らかになり、デンデのそれは『超』時点でもまだ小さい)である事や、そもそもキビト神が全快したなら彼一人だけで移動も回復もこなせてしまう。
残った謎
「ブウ(善)を引き剥がされた時、なぜ(純粋悪)に戻らなかったのか」。これは先に吸収された南の界王神の消息も含めて大きな謎である。
大界王神については後年の続編『ドラゴンボール超』において、ブウ(無邪気)にその力と記憶は継承されていた事が判明した(つまりブウ(善)にもそのまま残っている)。ただし先述した神力だけは分離してブウ(純粋)に継承されたので、そのまま転生先のウーブへと受け継がれている。
しかしこの段に至っても南の界王神については特に触れられてはいない。