概要
トップチームは1968年創設。創設時から一貫して松江市をホームタウンとしていた。当時は松江RMクラブという名称であった(別称として「松江RM友の会」というのがあった)。その後の2008年、将来のJリーグ入りを目指し、スペイン語で「トビウオ」を意味した愛称を付けてヴォラドール松江と改称。2011年、島根県サッカー協会松江支部を中心として新しいJリーグ入りを目指すクラブ組織を設立、ヴォラドールのトップチームはそちらに移管。名称も松江シティFCと改称する。
松江シティFC時代の黎明期、当時のライバルは後に経営難で解散した浜田市をホームタウンとするデッツォーラ島根であり、リーグ戦でも天皇杯島根予選でもデッツォーラに苦杯をなめ続けていた。しかし、2015年、山陰中央新報社をスポンサーに迎えて経営基盤を強化し、更なる大規模補強を行った結果、実力でデッツォーラを上回る様になり、序列を逆転させることに成功する。以降、松江シティFCは島根県サッカー界の最強チームとして君臨し続けることになる。
2018年、松江シティFCはJFL昇格を果たす。在籍する地域リーグの中国リーグを制し、また、地域CLでは無敗で優勝を飾る。ちなみに同年の公式戦は35試合中勝利を得られなかった試合は僅か2試合のみであった。
2019年、地域リーグ最強チームとしての称号を引っさげて、待ちに待ったJFLに臨む。しかし、ここで松江シティFCは地獄を見ることになる。開幕から11戦未勝利となるなど、序盤から最後まで泥沼状態に。どれほどだったかというと、第3節から最終節の第30節まで降格圏から脱出することが出来なかったほど。しかし、当時はFC今治がJ3リーグへの昇格を成し遂げてくれたおかげで、松江シティFCは最終節で、最下位(16位)の流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎との逆天王山を制して奇跡的な残留を果たすのであった。仮にもし負けたら、順位を逆転されてわずか1年で降格するところであった。ちなみに前年のJFLでは、同じく地域CL優勝チームとしてJFLに臨んだコバルトーレ女川もぶっちぎりの最下位で1年で降格していった為、「"2年連続で地域CL優勝チームが降格"という記録に関わったチーム」という不名誉な称号を付けられるところであった。
以降は、2019年の出来事を反省材料にしつつ、JFL在籍2年目以降は徐々に成績を上げていき、2022年には本格的な体制になるべく、この『FC神楽しまね』という名称となった。
経営問題発覚、そして解散へ・・・
さて、そんなしまねだが、2022年7月26日、選手やスタッフの給与が6月分から遅配されていることが判明する。その後、7月29日にクラブ公式から『緊急支援のお願い』と題されたリリースが上げられたが、その中でなんと地域リーグ時代の2017年4月から債務超過に陥ったままであることが判明する。2017年4月は「クラブの運営法人が設立された頃」であるため、その時から経営危機に陥らないようにする施策を給与が滞ることになるまで全くやっていなかったとも見て取れる。その上、当時の社長である宮滝譲治は11月に「クラブを離れる」という事実上の失踪を起こしてしまうなど、クラブの経営組織としては脆弱過ぎる体制であった。なお、宮滝社長は2019年に社長に就任した人物であり、2017年の時点での社長は彼より1代前の社長であるため、2代に渡ってクラブ経営を改善して来なかったということになる。
結果、JFLの寛大(?)な措置もあり翌年度までの改善が待たれたが、JFLから言われた問題点を全く改善することが出来なかったことが判明し、JFL退会が決定した。そして、2023年の3月には運営法人の破産申請をもって、クラブ及びトップチームの解散が決定するのであった。
ちなみに、育成組織であるジュニアユースチームとジュニアチームに在籍した選手たちの受け皿の役割は、トップチーム最後の副主将である選手が設立したサッカースクールが受け持つ流れとなっている。これは、FC神楽しまねが予告なく育成組織の運営を突然止めたための措置である。
ホームスタジアム
松江市営陸上競技場。ホームタウンの中心駅である松江駅からも行けるが、最寄り駅は乃木駅である。松江中央インターチェンジからも近く、いずれにしろ片道1時間以内で着ける。なお、バスで行く場合は松江駅の発着便に乗ることをオススメする。
収容人数は24000人となっているが、内、座席は5000人分しかない。
別名・表記ゆれ
- 松江RMクラブ/松江RM友の会 - 創設時から2007年までの名称。
- ヴォラドール松江 - 2008年から2010年までの名称。
- 松江シティFC -2011年から2021年までの名称。