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Fi156

えふあいいちごーろく

Fi156とはドイツ空軍が運用した連絡機である。愛称は「シュトルヒ(コウノトリ)」
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連絡機とは編集

連絡機とは部隊間や軍事施設(駐屯地など)などを行き来するための航空機のこと。

少人数の移動や物資輸送を行うこともあるため、ある程度の搭載量を持ち、かつ連絡のみならず弾着観測などの別用途にも使われることが多く、様々な場所で運用ができるようにするために軽量かつ安価にすることが多い。

日本では三式指揮連絡機、アメリカではグラスホッパーシリーズが有名。


概要編集

1935年にドイツ航空省が要求した新型連絡機開発に対し、フィーゼラー社は短距離離着陸性能に優れた機体を提示、1936年に認可が下りると同時に生産を開始した。


特徴編集

フィーゼラー社が売り込んだように、滑走できる平地が離陸用に45m、着陸用に18mあれば十分という優れた離着陸能力を見せた。また脚部はショックアブソーバーが仕込まれており、着陸時に縮む構造となっている。これにより整地された滑走路のみならず、どのような場所でも離着陸できる柔軟さを持つことになった。

一方でエンジンには240馬力のアルグスAs10を積んでいるが、最高速度は175km/hと非常に低速になった。但し低速でも安定性に優れており、50km/hでも飛行可能となっている。



戦歴編集

1937年から45年までで約2900機が生産されたが、連絡・軽輸送など様々な任務に使用された。

特に著名なのは、1943年9月にグラン・サッソ山に幽閉されていたイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニを救出した、オットー・スコルツェニー親衛隊少佐率いる特殊部隊の襲撃作戦に使用されたことである。

他にも1942年6月の青作戦発動前に作戦の書類を持っていた第23装甲師団首席作戦参謀ヨアヒム・ライヘル中佐が前線視察中にソ連軍支配地域に墜落し、その為に第40装甲軍団長ゲオルク・シュトゥンメ装甲兵大将などが解任される事となったライヘル事件で中佐が乗っていた飛行機でもあった。

そして大戦末期の1945年4月23日に、アドルフ・ヒトラー総統の召喚に応じて出頭する東部航空軍司令官ローベルト・フォン・グライム上級大将を、女性パイロットハンナ・ライチュの操縦のもと、ソ連軍攻勢下でまともな飛行場が使えないベルリンに輸送した機体としても名を残している。


戦後編集

戦時中にFi156を生産していたチェコスロバキアフランスでは大戦後も民間向けに生産が続けられ、特にフランス製機はインドシナ戦争などのフランスの植民地戦争でも使用されている。

またソ連でも独ソ不可侵条約下の1940年からデットコピー品であるOKA-38が生産され、戦後An-2に置き換えられるまで使用された。


関連タグ編集

軍用機 三式指揮連絡機

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