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概要編集

JR四国2000系の試作車両。1989年富士重工業で落成。最高速度120km/h。

TSEとはTrans Shikoku Experimental(四国横断実験)の頭文字。

座席、冷房吹き出し口は国鉄末期に登場したキハ185系の流れをくんでいたが、オーディオビジュアル装置を搭載したり、連結面の貫通幌内側に化粧板が設置されていたり、座席は少し窓側を向くように固定できるようになっているなど、イベント車両としても通用する設備を持っていた。というのも気動車用振子装置の実用化に失敗した場合、2000系を観光列車へ転用する腹積もりでいたかららしい。

ただしこれらの観光列車向け要素は量産化改造時に消滅している。


落成後は高松運転所に配置され特急「南風」「しまんと」の臨時列車として運用された。翌1990年には編成を方向転換して松山運転所へ転属。主に岡山松山間で特急「しおかぜ」の増結車として運用された。

3年後の1993年には予讃線特急に8000系電車が投入され、TSEは再び方向転換されて古巣の高松運転所へ舞い戻った。高松再転属後は土讃線特急の「あしずり」「しまんと」の特定列車に限定運用、量産車と混結してしまんと運用、中間車を外して2両で運用されるなど様々な使い方がされた。


2000系量産車だけでなくN2000系との連結も可能。もちろん3種類同時連結可能。


2003年にまた松山運転所へ転属。量産車の中間車1両を組み込んだ4両編成で特急「宇和海」と1日1往復限りではあるが特急「いしづち」で運用された。

2006年に登場時の3両へ減車され、宇和海の一部列車に充当されていたが、老朽化が激しく2018年、ついに引退が決定。同年3月17日の宇和海2号で営業運転を、7月3日のツアー列車で最終運転をそれぞれ終了し、翌2019年3月31日付で全車廃車となった。

その後は中間車が解体されたものの、両先頭車は2023年6月現在も多度津工場で保存されている。


TSE編成は鉄道模型としてまだ製品化されていない。量産車とN2000系についてはKATOのNゲージで振子機構搭載で発売されている。


車種編集

2000形 (2001)編集

運転台を持つ普通車。流線型の非貫通型先頭車で座席定員48名。(登場時は46名)振子制御装置を搭載し、行先表示器、トイレ、洗面所が設置されている。登場時は密着自動連結器を装備し、運転台側の連結器は大きなカバーで覆われていたが、後にカバーを撤去したうえで密着連結器+電気連結器に変更された。更に非運転台側の連結面も密着連結器+電気連結器に変更されている。

2200形 (2201)編集

運転台を持たない普通車。座席定員56名。(登場時は54名)業務用室、車販準備室、車掌室、テレホンカード式公衆電話をそなえた電話室を設置しているが、公衆電話は2000年に撤去されている。

登場時は密着自動連結器を備えていたが、後に密着連結器+電気連結器に交換されている。

2100形 (2101)編集

運転台を持つ普通車。座席定員48名。(登場時は43名)2001と異なり平坦な前面形状を持ち、運転台側に貫通路を備えていた。行先表示器とトイレ・洗面所が設置されている。登場時は2分割式プラグドアの外側貫通扉が設置されており、後に板式のヘッドマークが取り付けられた時期もあったが、量産化改造の際、外側貫通扉を撤去して幌が取り付けられた。松山から高松に転属した際、幌は撤去されて板で塞がれた。この板にはヘッドマーク掛けがないため、現在までヘッドマークが掲出されていない。

登場時は非運転台側の客室内にソファを備えており、このソファスペースは定員7名で普通座席定員は36名だった。

この車両も登場時は密着自動連結器を備えておりキハ185系との併結運転が可能な仕様だったが営業運転でキハ185系と編成を組んだことはない。量産化改造時に運転台側の連結器が密連+電連に交換され、後に非運転台側の連結器も交換されている。

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