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PIERROT

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ぴえろ

PIERROT(ピエロ)は道化を意味するフランス語であり、それを語源とする日本のヴィジュアル系ロックバンド。

曖昧さ回避

  1. フランス語における道化で、クラウンの一種。⇒道化師
  2. DREAM WISH製作の2006年公開のフリーゲーム。そ2010年に追加要素を加えて「PIERROT+」として再度公開となった。⇒PIERROT+
  3. 日本のヴィジュアル系ロックバンド。本項で解説

概要

PIERROT(ピエロ)は日本のヴィジュアル系ロックバンド。

長野で前任ボーカルとキリトが出会い、同じく長野で知り合った潤を加えて前身バンドが結成された。

その後、バンド名変更やメンバーチェンジを経由して1995年に後述の編成で固まり、1998年にシングル「クリア・スカイ」でメジャーデビュー。

デビュー後半年で初の日本武道館でワンマンライブを行った(当時のデビューから日本武道館公演までの最短記録)。

振りを多用した一体感のあるライブで熱狂的なファンも多く、ライブ動員力には定評があった。

解散と和解

2006年4月12日、突如公式サイトで解散を宣言し、ラストライブも行われなかった。

理由についてはメンバー間での活動方針の意見の食い違いである旨が語られており特にギター2人と他3人が割れた状況になっており、当時の状況やキリトのインタビューで不仲とも見られていた。

事実上のラストライブは同年4月2日に開催された日比谷野外音楽堂でのFC限定ライブだった。

当初は解散せず活動を続行する前提で発表前に制作されていたシングル「HELLO」が2006年6月21日にリリースされ、これをもって全ての活動が終了することとなり販促イベントなども行われることはなかった。

アイジ、潤はそれぞれ別のバンドを組み、キリトとKOHTAとTAKEOは3人でバンドを組み新たに活動することとなった。

しかし解散から数年後の2013年、キリトがブログにて潤がAngeloのライブに訪問したことを掲載し、和解していたことが判明した。

その後の活動

2014年4月13日、秋にライブを行うことが発表され同年10月24〜25日にさいたまスーパーアリーナで一時復活ワンマンライブを行った。

今後の活動はメンバー各自現在のバンドの活動に主軸を置く予定と語られ、その後3年間完全な沈黙状態となった。

2017年7月7日、8日にDir en greyとの対バンライブ「ANDROGYNOS」で再び一時復活を果たした。

2024年10月、再び「ANDROGYNOS」が開催されるのに合わせて3度目の一時復活となった。

同年9月10日、メジャーデビューの日に合わせて音源26枚分のサブスクリプションが解禁となった。

2025年2月、10年ぶりとなるワンマンライブを有明アリーナで開催することが決定。1年間限定のFCも立ち上げられた。各メンバーの活動も並行して行われることとなる。

メンバー

ボーカル。2月24日生まれA型。北海道札幌市出身。結成当初はギタリストだったが、前任のVoの脱退後Voに転向。解散後にAngeloを結成。現在はソロ活動がメイン。

ギター。11月17日生まれA型。長野県出身。現在はLM.Cのメンバーとして活動中。

  • (ジュン)

ギター。5月4日生まれO型。長野県出身。解散後はALvinoBräymenのメンバーとして活動、ソロ活動もしている。

ベース。6月3日生まれA型。北海道札幌市出身。キリトの実弟。現在はAngeloのメンバー、およびソロや各バンドのサポートとして活動中。

ドラムス。7月11日生まれA型。福島県郡山市出身。現在はAngeloのメンバー、およびH.U.Gのサポートとして活動中。

元メンバー

  • HIDELOW(ヒデロウ)

キリトが高校中退後に期間工として働いていた同じ工場の同僚でもあった。

1995年にキリトがボーカルに転向したい意思を強くしたことで、彼が身をひく形で脱退。

彼とキリトの出会いや脱退の経緯はキリトのエッセイで詳細が書かれている。その後の動向は不明。

  • LUKA(ルカ)

TAKEO加入前のごく短期間在籍したドラマー。名義を後に秀誉に改め、D≒SIRE、JILSで活動。

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