概要
これはキミとボクが引かれ合う存在共鳴――
thinE/Daseinとは、アイドルマスターシンデレラガールズに登場するユニットの1つ。
「第25回ドリームLIVEフェスティバル」が初登場。
「ユニットそれぞれでの合宿」が共通のテーマと思われる該当イベントにおいて、そんな素振りを欠片も見せないある意味圧倒的な存在感を携えて現れたこの三人組。
他のユニット達は多かれ少なかれ、和気あいあいと合宿をして仲が良くなったことをキャッキャッと話し合ったり、
寝食を共にしながら打ち合わせて決めたプログラムで意気揚々と臨むなど、
そういった和やかな雰囲気でLIVE会場を暖かく盛り上げた。
では、今ユニットの登場台詞を確認しよう。
二宮飛鳥
「思えば、ボクらは歌のザーダインだね。孤独な魂を震わせ、響かせる」
有浦柑奈
「たとえ孤独でも、歌は愛を繋ぎますよ!ラブはいつも、ここに!」
なんなの君達
……そう、終始こんなノリなのである。
台詞内に「合宿」を示唆する単語や様子はわずかにも存在せず、しかもスピリチュアルなニュアンスを多々含んだまま会話が進んでいくので、うん、すごく目立つ。
実際、初登場した当時はその難解さや高いスピリチュアル性により、少なからずP達を困惑に陥れた。
しかし、だからこそ彼女たちが語り合う言葉や、触れ合う気持ちに注目すべきであろう。
何でこの3人の組合せ? 共通点とかあったっけ?
ユニット名はどんな意味? つかそもそもどう読むのこれ?
……こういった疑問に、順を追って答えていく。なお、公式から正式に解答や解説があったわけではないので、推測や憶測が多く含まれることをご了承いただく。
そして、飛鳥の曲である『共鳴世界の存在論』の歌詞に沿った部分が大きい解釈群なので、
先にそちらの歌詞を見ておくと噛み砕きやすいかもしれない。
ユニット名について
「thinE(ザイン)=汝の、汝のもの」「Dasein(ダーザイン)=ここにいる、現存在」
つまり、繋げると「thinE/Dasein=“汝の現存在”、“ここにいる汝”」等になると思われる。
また、わざわざ大文字で書かれ、スラッシュで分断されている「E/D」の部分。
これについての解釈は諸説あるものの、楽器などのコードで使われている「E/D」コードではないかと仮定した場合、ユニット名自身に“音”の概念の要素が含まれていると推測出来る。
特にこれをギターのコードとして見ると、柑奈が持つ形見(存命)のギターとその“音”を示している……と考えることも可能。
スラッシュの部分は、キーワードの1つである「孤独(隔絶)」を示しているのではないか、という説も。
余談になるが、
・妙に凝った名前
・哲学用語を含む単語
・大文字小文字記号の組合せ
……などなどから、「飛鳥が考案したユニット名なのではないか」という説があるも、真偽のほどは不明。
3人の共通点
ざっくりと言えば「海」である。
・海が心象風景であり、自身もその在り方を体現しているかのような、海のアイドルこと詩織はもちろんのこと。
・飛鳥も海に面した静岡県出身なことに加え、第21回アイプロ 『アロハ!常夏の楽園』にて海について感じ入り、様々な言及を残している。
・柑奈はそもそも長崎、それも離島の出身であるので、幼い頃から多く触れてきたと思われる。
また、【船上の音楽家】において海賊役として海に揺らされ、歌っていたことも。
また、前述したように「孤独」も彼女たち3人に共通する要素である。
・これに関しては飛鳥が想像されやすいだろうか? 14歳の少女として、周囲の不理解や不安定なアイデンティティに悩む飛鳥は、アイドルになる前は強い隔絶を――孤独を覚えていた。ひょっとすると、今でも。
・詩織もまた同じ。とても大人びて見える彼女も、成人を目前に控えた19歳の少女であり、特に海との関係性が注目される。彼女は海に親しみ“海”を己の内に持っているものの、実は泳げない。彼女に出来るのはわずかに足を浸すか、遠くから愛しく――しかしどこまでも遠い海面を眺めることのみ。
・柑奈。ラブ&ピースを伝えようとする彼女はしかし、誰にも“あいのうた”が届かない現実にぶつかり続けていた。アイドルとして歌ったことである程度成功を収めつつも、父親との溝は縮まる気配がない。
もっと言えば、それぞれに強固な世界観を抱いていることも共通点と言える。
では、この3人がユニットとして出会うことで何が起こるのか? それを次に述べたい。
“波”と“世界”と“愛”と
ここで、飛鳥と柑奈の関係性について補足する。
彼女たちは【グリッターステージ】にて共演するも、しかし互いの価値観を平行線に言い合うのみで歩み寄れずにいた。
それもある意味当然で、現実の空虚や無力さを前にニヒリスティックなため息をつく飛鳥と、愚直なまでに愛を唱える柑奈の相性は最悪といえば最悪。
結局この時点で2人が和解することはなかった。……別に喧嘩していたわけではないが。
詳しくはシンデレラガールズ劇場第274話を参照。
このすれ違いの原因が2人が狭量だったから…というわけではなく、互いに正反対かつ、譲れない価値観を持つ者同士だったことが大きい。
なにはともあれ、このままでは2人が共に手を取り合うことは望めない。彼女たちは全く違う立場に立っているのだから。
――そこで重要になってくるのが瀬名詩織の存在である。
二宮飛鳥
「寄せては返す、果てしない波の向こうに…アナタは何を見てる?」
瀬名詩織
「海よ。常に変わり、そして変わらない。私の大事な世界…」
有浦柑奈
「詩織さんが波を見るなら、私は静かに歌を歌いましょう…♪」
瀬名詩織
「波の音を伴奏に…優しい歌が聴こえてくる。これは…愛の歌ね」
“海”に例えられるほど穏やかで、大きな器を持つ彼女が仲介役として間に立つことで、
飛鳥と柑奈は互いの言葉を“音”として、“波”に乗せて届かせられる。
飛鳥の曲『共鳴世界の存在論』から言葉を取り出せば、
ラジオめいた“周波数”の概念もまた重要になってくる。
「孤独を抱えて 響いて 引き合う 周波数」
「誰にも届かない声が今 君に聞こえたなら」
つまり、周“波”数が互いに伝わることで初めてノイズがしっかりとした“音”に変わり、
それぞれの存在に気付くことが出来る。
…………まあ、ようは「頑固なところがある2人が、詩織の性格や仲裁のおかげでそれぞれの付き合い方を見つけられた」といった感じ。
さて、ここに至って飛鳥と柑奈はお互いの価値観に触れ合うことが出来た。
元々は度量が広く素直な性格を持つ2人なので、一旦歩み寄ることが出来れば後はスムーズ。
二宮飛鳥
「柑奈さん、アナタの旋律はボクのセカイに届いたよ。こんなにも…熱い」
有浦柑奈
「じゃ、一緒に歌いましょう!同じ世界に生きる家族として!」
仲間を通り越して家族である。これが柑奈クオリティ。
大切なのはそれぞれに持つ「世界(セカイ)」に言葉を届か合うことが出来た事実。
冒頭の台詞にあったように、3人は依然として「孤独な魂」であることに変わりはない。
しかしそれでも「歌は人を繋ぎ」、孤独であってもそれぞれを愛し合う。
一見するとスピリチュアルかつ難解でよく分からないユニットであるが、
非常に熱い気持ちと言葉のやり取りを交わす3人であることが伝わっただろうか。
まとめ
現状、このユニットが登場したのは一回のみである。
だが全てにおいて濃厚極まる要素がふんだんに盛り込まれているため、再登場を望む声も多い。
・スペルを間違えそうになる
・読み方を忘れる
・基本的に難解 ……といった問題点(?)もあるが、なに、些細なものである。
最後になるが、なにげに19歳のお姉さん2人に14歳の飛鳥が挟まれる形になっており、
ある意味では非常に微笑ましい組合せと言えなくはないかもしれない。
……仲裁されてる側に19歳がいるが。