バスク地方
ばすくちほう
ビスケー湾に面し、ピレネー山脈の両麓に位置する地方名。スペインとフランスの両国にまたがり、バスク人が居住する。
バスク語ではエウスカル・エリア(Euskal Herria)もしくはエウスカディ(Euskadi)と称する。
スペイン側に4領域、フランス側に3領域がある。
7領域の一覧
(括弧内はバスク語の呼称がスペイン語/フランス語と異なる場合)
- スペイン・バスク(エゴアルデア(Hegoaldea)、エゴ・エウスカル・エリア(Hego Euskal Herria)(南バスク地方))
- バスク州(エウスカディ)
- ギプスコア県(Gipuzkoa)
- アラバ県(Araba)
- ビスカヤ(ビスカイア(Bizkaia))県
- ナバラ(ナファロア(Nafarroa))州(ナファロア・ベヘラとの対比でナファロア・ガライア(Nafarroa Garaia)とも)
- ナバラ県(州と県が同一領域)
- バスク州(エウスカディ)
- フランス領バスク(イパラルデア、イパル・エウスカル・エリア(北バスク地方))
- ピレネー=アトランティック県のスペイン寄りの一部
- ラブール(ラプルディ(Lapurdi))地方
- バス=ナヴァール(ナファロア・ベヘラ(Nafarroa Beherea))地方
- スール(スベロア(Zuberoa))地方
- ピレネー=アトランティック県のスペイン寄りの一部
ビスカヤ県は石炭や鉄鉱石の鉱床に恵まれ、輸出港としてビルバオ港があったため鉄鋼業が盛んで、ビスカヤ高炉(AHV)社は長らくスペイン最大の企業だった。バスク独特の企業形態として協同組合形式での企業経営(社員全員が組合員として立場上対等という形態)があり、アラサーテ/モンドラゴンに所在するモンドラゴン協同組合企業が代表格である。(注:バスク語とスペイン語の大きく異なる地名を併記した Arrasate/Mondragón や Vitoria-Gasteiz(ビトリア=ガスティス、バスク州都) という表記がしばしば用いられる)
美食の宝庫としても知られ、世界的に有名なレストランが多数有り、また、男性が定期的に集まって料理を作る会員制の「美食クラブ」という風習も存在し、「スペイン人に『スペインで食物が美味しい場所はどこ?』と訊くと、まず自分の故郷をあげて『それとバスクだな』と付け加える」という都市伝説も有る。
バスク料理(Euskal sukaldaritza)として知られるものに、以下のようなものが有る。
(料理名はバスク語とスペイン語・フランス語ほかが混じっている)
- ピンチョス:切ったパンに具材を載せたり串で刺した軽食。
- マルミタコ:マグロと野菜のシチュー。
- バカラオ・アル・ピルピル:干しタラのオリーブオイル煮込み。
- ピペラード:トマト、ピーマン、ニンニクやタマネギをオリーブ油で炒め、エスプレット(フランス・バスクの赤唐辛子)を加えて煮たもの。
- タロ:トウモロコシ粉から作るパン。
- サガルド:リンゴ酒(シードル)。
- チャコリ:発泡性ワイン。
- ガトー・バスク:ラブール発祥のペイストリー(焼き菓子)。
- バスク風チーズケーキ:ドノスティア/サン・セバスティアン(ギプスコア県都)発祥のケーキ。
17世紀にバスク地方がスペインとフランスに分割されて以後、特に19世紀後半からの民族自決の意識がヨーロッパで高まって以降、上記7領域の統一がバスク・ナショナリズム運動の悲願とされてきた。上記の七つの地域を統合する意味の「7つは1つ(バスク語:Zazpiak Bat(サスピアク バット))」がスローガンである。バスク人の民族自決を大前提に、要求範囲は自治権の獲得からバスク人居住地域の独立まで様々である。
特にスペイン・バスクでは、スペイン内戦下におけるフランシスコ・フランコ軍によるバスク地方への攻撃(特にドイツ軍のコンドル軍団と協力してのゲルニカ爆撃が知られる)と、その後のフランコ独裁政権によるバスク人・バスク語への弾圧が過酷であり、しかもアメリカが反共政策のためにフランコを支持したことがバスク地方における反発を生んだ。
特に悪名高かったのが、共産主義に基づくテロ活動を繰り返した「バスク民族と自由(ETA)」である。1958年の結成以来、1973年にフランコの後継者ルイス・カレーロ・ブランコ首相を爆殺するなどのテロを起こした。フランコ死後のスペイン民主化の過程においてもなおテロや収奪(革命税と称した身代金を要求した)を繰り返したことでバスク人たちからさえも見放され、結果的に2010年に武装闘争路線を放棄、以後は政府への武器の引き渡しなどに応じている。