概要
現在の大阪府岸和田市西之内町の、岸和田市中央公園内に所在していた。
1928年までには同地に競馬場が開場しており、同年11月に最初の競走が開催。
第二次世界大戦時も1944年の休止まで鍛錬馬競走として行われていた。
戦後に競馬競走が再開され、1947年には全国2位の売上を達成。
1948年の新競馬法の制定のもとで現在の地方競馬として整備され、開催権は大阪府都市競馬組合に移った。
しかし1950年に近隣に岸和田競輪場が開場すると(現在も営業中)、高度経済成長の波と公営競技ブームに乗って来場客が増加。
同時期に周辺地域は住宅街化が進んでいたため、住民と一部のモラルの欠如した来場客との間でトラブルが多発するようになる。
また飼育されている競走馬が運動のために児童・生徒の登下校の時間帯に公道に出る事や、子供達が落ちていた馬券の回収や賭け事の真似事をするようになった事を危惧する保護者が増え、地元の婦人会などによる廃止運動が活発化。
そして1974年、3月に最終競走が開催されて春木競馬場は閉場した。
跡地は岸和田市に譲渡された後に解体・再整備され、1978年に先述の岸和田市中央公園として開園。
園内には本競馬場の記念碑が残る。
コース
少なくとも昭和前期では一周1,250mの右回りのダートコースであった。
内馬場にはX状の襷コースが整備され、障害競走も行われた。
また現存する航空写真で、場内を二級河川の春木川が流れていてコースの2ヶ所でその上を跨いでいた様子が確認できる。