概要
桂太郎と西園寺公望が交互で内閣総理大臣(首相)を務めた時代のこと。
1901年から1913年まで続いた。
桂は陸軍・長州閥出身の人物で、山縣有朋の子分でもあった。また、上司の山縣と同様に政党政治を嫌っていた。
西園寺は公家出身の人物で、立憲政友会の2代目総裁でもある(ちなみに初代総裁は伊藤博文)。
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