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登山の編集履歴

2015-01-04 03:52:15 バージョン

登山

とざん

山に登ること。現在はレジャーやスポーツとしての登山が盛んである。

概要

読んで字のごとく、に登ること。


古くは信仰、現在ではレジャースポーツとしての登山が盛んである。

最近では登山用に整備されている山も多く、登山を趣味として楽しむ人も増加している。

ただし、天候の急変や低温、転倒や転落等のリスクがあるため、事前の適切な準備を忘れてはならない。


日本における登山

山国である日本は、国土の75%が山地である。そこで太古の人々は、自然と山に登って生活の糧を得るようになった。山で狩り木の実きのこ山菜を採取し、食料としてきたのである。また、樹木は狩猟の道具や、住居をつくるための材料燃料などになったと考えられる。


山は太古の人々に恵みをあたえる反面、噴火山火事など災いももたらした。人々は山にはが宿ると考え、敬い恐れ祈りの対象とした( → 山岳信仰)。そのため、日本における登山は、宗教登山の形をとって、ヨーロッパよりもはるかに古くから行われていた。

に対する信仰は、に対する信仰とともに、原始時代以前からと考えられている。その信仰の伝統は、やがて山で修行を行う仏教系統の山岳修験道の形をとるようになっていく。

奈良時代におこった山岳宗教は、平安時代になるとさらに盛んになり、古来の山岳信仰山岳仏教とが合体し、日本独自の修験道がしだいに発達を遂げていった。


近世になると、戦国時代の動乱期は戦略上の必要から山にが設けられ、峠路は主要な交通路となり、山岳における知識が要求された。多くの大名が、国境警備のために人を山へ登らせ地形を調査した。


江戸時代になると、中世の信仰登山が一般民衆の間にさらに広まった。また、江戸時代になって交通が発達し、旅行が容易になってくるにしたがい、民間信仰の特別な風習として、各地の名山に対し集団登山が行われるようになった。

これが講社とよばれるもので、富士山の登拝を目的とする「富士講」をはじめ、大山月山御嶽立山などの登山をする「大山講」、「月山講」、「御嶽講」などが盛んになった。その参詣者の数は非常なもので、当時の一般民衆の生活のなかに根強く入っていった。


明治時代になると、外国人により各地の山々が登られ、中部山岳地帯の測量のための登山も行われた。そのほか、日本の山岳地帯の地理地形地質調査や、植物研究の登山も始まり、日本の登山が、いままでと違った形で発達してくるようになった。


明治後期に日本の登山熱は高まり、剱岳をはじめ、穂高・槍縦走、赤石山脈横断などの大記録がつくられた。大正時代の初期までのほぼ10年間で、日本アルプスの主要な峰々はほとんど登り尽くされた。


日の出またまた合宿!!

スラングとしての『登山』

超ボリュームに定評のある、喫茶マウンテンのメニューを食すること。それらを完食することは「登頂」と呼ぶ。

こちらも入念な体調管理と覚悟を持って臨まなければ「遭難(完食できずリタイア)」の危険がある。

タライいっぱいに盛られた雪山(かき氷)にも注意されたし。

めざせマウンテントップ!!


別名・表記揺れ

山登り

関連タグ

 山岳

アウトドア レジャー スポーツ

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登山家 登山者 山ガール クライマー

登山靴 ピッケル リュックサック テント

雪山 夏山


山岳信仰 

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