概要
既にこの世を去っているが、いまだに何らかの理由で実は生きているとまことしやかに語られる噂の一種であり、対となるのは「死亡説」である。
死亡説と異なるのは生きている事を実証する事が困難であり、陰謀論や都市伝説のカテゴリとして扱われる事が多い。
時に歴史上の人物において時期を限定した生存説もある。
生存説の一例
- 安徳天皇生存説
源平合戦の壇の浦の戦いで祖母・二位尼とともに入水したとされるが、死なずにどこかに漂着して生き延びたとされ、平家落人伝説のひとつとなっている。終戦直後に続出した偽天皇のひとりも自分は生き延びた安徳天皇の子孫だと自称した。
衣川の戦いから源義経らが生存し、大陸に渡ってモンゴル帝国を築いたという説で、源流は江戸時代以前にまで遡れる由緒正しい(?)説である。
他にも、北海道に渡り、アイヌに文化を伝えてカムイになったとも、満州に渡って金や清の源流になったともいわれる。
- 北条時輔生存説
鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の異母兄で六波羅探題南方を務めた時輔は文永9年2月15日(1272年3月15日)に起きた二月騒動にて謀反を起こした咎で時宗の命を受けた六波羅探題北方の北条義宗によって成敗されているが、その一方で当時の記録である『保暦間記』に「吉野に逃れ、行方不明になった」と書かれている。また『勘仲記』によると「時輔が元寇のどさくさで鎌倉に侵攻しようとしている」という噂が流れたとも記録されている。噂は事件から12年経過した弘安7年(1284年)まで絶えず、ついには時輔とその息子を捕えるよう命じた関東御教書が発給されるほどだった。
- 織田信長生存説
本能寺の変で信長の遺体が発見されなかった事から、本能寺の変の後も生きていたのではないかとされている説。
山崎の合戦で敗れ、山科の山中で落ち武者狩りに遭ったとされているが、徳川家康に匿われ、天海坊として生き延びたという説も公開された。
また、天海坊の正体には諸説あり、本能寺の変の主犯共々戦国ミステリーの題材になっている。
- 豊臣秀頼生存説
大坂の陣で母・淀殿とともに自害したとされるが、実は大阪城を脱出し、九州に落ち延びたと言われている。
- 原田佐之助=馬賊生存説
新選組十番組長だった原田佐之助が新選組離脱後に旧幕臣が組織する彰義隊に参加、戦死したともいわれるが、一部で中国大陸に逃れ馬賊になったとも言われている。
- 西郷隆盛生存説
西南戦争で敗れ自刃した西郷は生き延びて大陸に逃れたとされ、日露戦争直前には再び日本に戻ってくるという噂も広まっていた。
- アナスタシア生存説
ロシア革命で処刑されたニコライ2世の娘・アナスタシアは処刑されずに生き延びたとされ、その遺骨が見つかるまで20世紀の謎のひとつとして広まっていた。
- 川島芳子生存説
日本軍の協力者として中国国民党軍に処刑されたが、実は処刑前に脱走し、一市民として生き延びたとされ、彼女の娘だと名乗るものもいた。
- アドルフ・ヒトラー生存説
彼の場合は死後の遺体の末路が不明瞭である事から、ベルリン陥落後も何らかの形で実は生き延びていたという説。
※他にもご存知の生存説があれば追記願います。
関連タグ
三浦建太郎:源義経生存説をベースに「王狼/王狼伝」を上梓。
高橋克彦:「時宗」にて時輔生存説を「死を偽装した時宗の策略」とした。