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安倍晴明の編集履歴2017/02/16 01:39:44 版
編集者:主膳正
編集内容:官位について

10世紀の平安時代中期にいた、日本史上屈指の陰陽師

現在も様々な創作物に登場する、陰陽師の代名詞的存在である。

概略

延喜21年(921年)の生まれとされるが、出自は定かでなく、西日本とされる。賀茂忠行・賀茂保憲父子のもと修行し、陰陽道と天文学を学んだ。

天暦2年(948年)に官職に就き、天徳4年(960年)に天文博士となり、村上天皇花山天皇藤原道長などの信頼を得て主計権助、左京権大夫、播磨守などの官職を歴任し、位階も従四位下にまで昇った。寛弘2年(1005年)に没した。

この安倍氏は土御門家とも呼ばれ、晴明一代で陰陽道の名家になれた。

白狐(妖狐)の葛の葉を母に持つと言われ、呪術や祈祷に長け、式神(十二神将)を自在に操ったとされ、数々の伝説を生んだ。ライバル蘆屋道満とは対決を繰り広げた。

現在、京都市内の晴明神社と大阪市内の阿倍王子神社があり、そこに祀られている。

後世

様々な古典文学や歌舞伎の演目に取り上げられたが、近代以降は陰陽師の存在とともに影を潜めた。

だが、荒俣宏小説帝都物語』(のちの映画版を含む)で昭和の世に息を吹き返すこととなり、さらにその後に発表された夢枕獏小説陰陽師』の大ヒットにより、平成の世に知名度が飛躍的に向上。「安倍晴明」は確固たる地位を築くこととなった。

夢枕版は漫画映画ドラマ化もされ、その後の和風ファンタジー漫画アニメゲームの世界観にも多大な影響を及ぼすことになった。

ゲームだと白狐を肩に乗せていることが多い。

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