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151系の編集履歴

2018-06-03 20:27:34 バージョン

151系

ひゃくごじゅういちけい

国鉄が1958(昭和33)年に製造・営業運転に配属した特急形電車。

概要

日本国有鉄道が1958(昭和33)年に製造し、同年に特急「こだま」号として東海道本線に配属した特急形電車。製造年代の割に設計最高速度が160km/hと凄まじい性能を誇っていたため、後の新幹線開業に向けての高速度での走行実験(通称「高速度試験」)も行われた。また、運転最高速度も当時の在来線としては未曾有ともいえる高速度運転である110km/hという速度で運行された。


製造当初の形式名は20系であったが、製造翌年の1959(昭和34)の称号命名規定の変更で151系となった。その後1962(昭和37)年に上越線向け派生型の161系が製造され、更に1965(昭和40)年に151系と161系をモーターの換装などの改造が行われて181系に統合された。


投稿イラストの傾向

pixiv内では他の形式の鉄道車両イラスト同様に該当系列の列車を描いたイラスト(特に高速度試験)や擬人化イラストが投稿されている。


基本構造

国鉄新性能電車のはしりとなった90系(後の101系)通勤形電車のメカニズムを基に、特急列車にふさわしい設備を取り入れたものであり、騒音源を客室から離す、高速度運転のために重心を低くする工夫をしつつ運転台は高い位置に設置し、更に静粛性と空調の効きをよくするために断熱・防音加工がなされている。そのため、ボンネットを有する特徴的な車体デザインとなった。

ボンネット内は補機室となっており騒音源となっていた空気圧縮機と電動発電機が格納されていた。

また、当時の看板特急列車である「つばめ」「はと」のような1等車の連結も無く、食堂車もビュフェに置き換えられ、さらに2等車には「ビジネスデスク」(乗車中に書類仕事が出来るように設置された机)まで装備されるなど、ややライトな「ビジネス特急」としての位置付けがされていた。


当初の運用、編成

1958年10月のダイヤ改正で、東京大阪間の特急「こだま」としてデビュー、所要時間は6時間50分で2往復が設定され、一応ではあるが両都市間の「日帰り」が出来ることを売りにしていた。(同区間を走行する、客車列車のつばめ・はとの所要時間は9時間)

編成は2等車(現在のグリーン車)2両、半室ビュッフェ車2両を含んだ8両編成である。


クハ26-モハ20-モハシ21-サロ25+サロ25-モハシ21-モハ20-クハ26


上記のように当初は4両編成を背中合わせに連結して、検査時など必要に応じて4両単位で編成替えが出来るように考慮されていた。そのため、サロ25のデッキ側には簡易運転台が設置されており、ジャンパ連結器も両渡りになっている。

翌年の称号改正で、下記のように新形式に改称されている。

モハ20001~006→モハ151 1~6 モハシ21001~006→モハシ150 1~6

サロ25001~006→サロ151 1~6 クハ26001~006→クハ151 1~6


翌年、2等座席車のモロ151/150の電動車ユニットと、3等座席車のサハ150が計12両増備されて12両編成に増強された。


高速度試験

1959(昭和34)に将来の鉄道高速化、ひいては新幹線開業へ向けた研究のための実験として151系予備編成(4M4T)から中間付随車2両を編成から外して4M2Tの6両編成にした試験編成に各種測定機器を取り付け、一部の車輪は横圧測定を容易にするためにスポーク車輪に取り替え、更に離線対策を施したパンタグラフと踏面の傾斜角度を変えた車輪も試験のため取り付けられた。

そして、東海道本線の条件のよい区間(金谷駅~藤枝駅間)を試験線として、道床の強化やロングレールコンクリート枕木の敷設をし、架線を一部ツインカナテリー式に変更、更にこれらの設備や線路近辺にも測定器が設置され、7月27日~同月31日にかけて試験を行い、70km/h、100km/h、130km/h、160km/hと回を重ねるごとに速度を上げて実験を行った。最後の160km/h試験で当時の狭軌鉄道世界最高速記録である163km/hを記録している。

ちなみに、同年と翌年にかけて魔改造旧型国電ことクモヤ93000形によって165km/h、167km/h、175km/hと記録が塗り替えられている。このクモヤ93000形は高速度試験後の結果を元にした鉄道高速化のための実験につかわれており、高速運転用のモーター、パンタグラフの試作品を取り付けた試験が行われた。

余談だが、クモヤ93000形は本業の架線検測のため屋根上にのついたドームがあるため、151系の設計にあたってこの架線検測用ドームを高運転台に見立てて信号機がどのように見通せるかの調査にも使われた。

151系の登場によって、東京〜大阪間の特急列車はより速く、より快適にグレードアップした。

速達性は言うに及ばず、乗り心地が良くなり、3等車(普通車)を含む全ての車輌に冷房がついた。


『つばめ』『はと』の電車化とクロ151

151系「こだま」の登場で特急列車のサービスの底上げが図られたが、これまで東海道線で客車列車によって運行されていた特急列車『つばめ』『はと』とのサービス格差という重大な問題が噴出した。


このため、両列車の電車化が検討されたものの、従来の特急列車に連結されていた1等展望車に相当する車両が存在しなかったため、新たに「クロ151」が開発されることとなった。

詳細は「クロ151」を参照。


1960年(昭和36年)6月1日のダイヤ改正

東海道本線の昼行特急列車は「こだま」「つばめ」がそれぞれ2往復(うち「つばめ」1往復が神戸折り返し)の、電車列車4往復に置き換えられた。同時に「はと」が一時的に消滅している。

そのため、上記のクロ151、食堂車のサシ151他36両の151系が増備された。

編成は大阪方から

クロ151/2等車4両/食堂車/半室ビュフェ3等車/3等車5両

 の12両編成という非常に豪華な編成であった。


なお直後の7月1日には、既存の1等車(記号イ)を廃止、2等車及び3等車をそれぞれ格上げする形で2等級制に移行した。

クロ151は、形式の上では等級変更後の1等車(記号ロ 変更前の2等車で現在のグリーン車相当)と同じであるが、サービス内容は従来の1等車(記号イ)に相当する全くの別物であるため、2等級制での1等料金とは別に特別料金が必要であった。


関連タグ

国鉄 特急形電車 こだま(在来線)


20系・・・旧形式名

181系・・・形式統合後

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