重要
侯爵、陸軍中将、四条隆謌の七男、自信の再従兄弟あたる。一条忠貞(侯爵醍醐忠順の子)の跡を受け家督を継いだ。昭憲皇太后は義理の叔母に当たる。正二位、公爵、海軍大佐に上がった。
生年
慶応2年8月24日(1866年10月2日)
没年
経歴
フランス留学の後従軍した日清戦争、その後の日露戦争で功を挙げる。その後フランス公使館附海軍武官となる。1908年(明治41年)1月20日、海軍大佐に昇進し予備役に編入となり、東宮侍従長に発令され宮内省に入る。その後、宮内省では掌典次長、祭官長等を歴任。1913年8月9日、宮中顧問官となる。1914年8月24日に後備役となり、1919年8月24日に退役した。後に明治神宮宮司となる。大正13年(1924年)、肋膜炎のため59歳で薨去。
栄典
1896年(明治29年)12月21日 - 従三位
家族
最初の夫人は一条実良の三女で昭憲皇太后の姪の良子。後に侯爵・細川護久娘の悦子と再婚。
系図
後陽成天皇一一条昭良ー醍醐冬基ー冬熙ー経胤ー輝久ー四条隆生ー隆謌ー一条実輝
系譜
父:四条隆謌
母:四条春子(中井好馬の長女、土方久元の養女)
妻:一条良子(一条実良の三女)
女子:一条経子(一条実孝夫人)
男子:一条實基(土佐一条家を再興、男爵)
男子:佐野常光(伯爵佐野常羽の養子で竹田宮恒久王の王女綾子女王と結婚)
男子:南部利英(伯爵南部利淳の養子、利淳の娘南部瑞子と結婚)
女子:一条圭子(鍋島直方夫人)
女子:一条生子(伊達宗克夫人)
養子:一条実孝(実父は大炊御門師前)
養女:一条智光(実父は小倉英季)