概要
プロフィール
経歴
香淳皇后とは女子学習院の同級生で、昭和天皇のお妃候補であったといわれている。
1919年(大正8年)12月23日に博義王と結婚、翌年に北海道を訪れた。1男3女をもうけた。
関東大震災の時には皇族による被災者の慰問活動に参加する。
1931年(昭和6年)に鶴岡八幡宮に参拝する。戦時中には日本赤十字社の奉仕活動に参加する。
1938年(昭和13年)に夫の博義王と死別する。
1947年(昭和22年)に他の宮家と皇籍離脱。
1971年(昭和46年)に死去。
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